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「履歴書が書けないんです」日大アメフト部“悪質タックル”の元監督、内田正人のいま 本人が明かす「追放された監督」のその後
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byYuki Suenaga
posted2024/03/09 17:00
日本大学アメフト部「フェニックス」の元監督・内田正人氏。事実上の永久追放を意味する除名処分となってから約6年の日々を振り返った
俺もこういったマスコミの報道を欲していたんだなと思ったんです。だから責任は全部マスコミじゃないなと思ったんですよ。
そして、マスコミの人にも養っている家族がいるんだよな、とも思いました。例えばすごくスキャンダラスな記事を書く人がいたとしても、その人は家に帰ると子どもがいたりする。その時にどうやってその記事の説明をするのかって、なかなかその人も大変だと思うんですよ。だけど、それは養っていく上では重要じゃないですか。だから、マスコミの中の人と、マスコミに対する憎しみを一緒にすると、自分自身が貧しくなっちゃうんですよ。
――なぜそういった考えになったんでしょうか?
最終的にはうちの父親の影響が大きいと思います。うちの父親は今も雑誌『世界』(岩波書店)を読み続ける、そういう人なんですよ。その教育を僕がずっと受けているので、性善説的な人の見方っていうのはそこから来ています。
フラッシュを見るだけでめまいが…
――記者会見ではたくさんのフラッシュを浴びせかけられ、その後入院していました。最初からそうやって許せたわけではなかったですよね?
あの後も財務省の森友文書改ざんなどいろんな記者会見がありましたよね。しばらくはああいったフラッシュとかを見るのはキツかったです。映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年11月公開)の記者会見のシーンでもフラッシュが焚かれていて、めまいがするような、フラッシュバックするような感覚に陥りました。
さっき言ったような考えにいたるまでには1年くらいかかったと思います。テレビを見ると、ひどいことをしたと報じられ、ショックを受け、「持っていかれる」ような感覚でした。当時は、はっきり言うと「自殺」に対しハードルがない状態でした。「いつでも行けるように」と思いながら生きていた。
ただ、一方で家族はどうなるかと冷静になって考えるわけです。そして客観的に自分を見る努力をするようにしました。「内田はいまこういう状態だよ」とちょっと離れたところで自分自身を見るようにしてきました。
――並行して警察の取り調べがありましたよね。
僕のときはもうほぼすべて資料が揃っていたので、そこまで何度も何時間もという過酷な取り調べではなかったです。ウソ発見器をつけてやりましたね。弁護士は「それは受けるべきじゃない」というんだけど、隠すこともないし、ウソ発見器をつけて応じていました。
第三者委員会と警察の取り調べは違う
――2019年11月に嫌疑不十分で不起訴となりました。関東学連、そして日大の第三者委員会の報告書でも内田さんは悪質タックルの指示をした指導者として「悪者」とされてきたのと、結論が違う印象です。なぜこういった判断が起きたと考えていますか?