「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「ガソリンスタンドで打撃特訓、合気道の教えも…」広岡達朗の“まるでマンガ”な指導は有効なのか? 広岡ヤクルトの申し子・水谷新太郎の証言
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/02/21 17:02
2013年のヤクルト浦添キャンプで山田哲人を指導する広岡達朗。教え子のひとりである水谷新太郎が、知られざる広岡の手腕について証言した
「7月、いや8月ぐらいかな? この頃になると、“優勝できるかも”という思いは芽生えていました。《ラッキーエイト》じゃないけど、たとえ負けていても、8回ぐらいになるといつの間にか逆転しているんです。僕だけじゃなく、きっとあの頃の選手は誰もが、“さぁ、逆転できるぞ”って感じていたと思います。途中、ジャイアンツが首位に立っていたけど、それでも自信は全然揺るがなかった。“絶対に大丈夫だ”って思っていました」
この連載において、広岡がスワローズ監督に就任した際に「ジャイアンツコンプレックスの払拭」を大命題としていたということは何度も述べた。改めて、問うた。「水谷さんにはジャイアンツコンプレックスはありましたか?」と。その答えは簡潔だった。
「いいえ、ありません」
当時プロ7年目、24歳の水谷には、若松や松岡弘が抱いていた「Ⅴ9時代の幻影」は微塵もなかった。広岡が水谷に求めていたのは、まさにこの点にあった。スワローズは悲願の初優勝に向けて、着々と勝ち星を重ねていく。そして、10月4日、ついにその瞬間を迎えることとなる――。
<水谷新太郎編第3回/連載第23回に続く>