「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「ガソリンスタンドで打撃特訓、合気道の教えも…」広岡達朗の“まるでマンガ”な指導は有効なのか? 広岡ヤクルトの申し子・水谷新太郎の証言
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/02/21 17:02
2013年のヤクルト浦添キャンプで山田哲人を指導する広岡達朗。教え子のひとりである水谷新太郎が、知られざる広岡の手腕について証言した
「新田理論というものがどういうものなのか上手に説明することは難しいけど、身体の基本である下半身を使って、足から、腰、上体に力を伝えていく、そんなバットスイングの仕組みを学びました。決して力強いスイングじゃなくて波打っているように見えるスイングなんですけど、インパクトの瞬間に最大限に力が発揮できるんです」
新田の指導によって打撃が開花したのがベテランの船田和英だった。本連載の八重樫幸雄編(第4回)において、「新田さんの考えは、バッターは最初に構えを作っておく。そして、自分で決めたトップの位置を変えずにそのまま打ちにいくという指導」と、八重樫は語っている。打席に入るとすぐにトップの位置を固定し、ヒッチやスウェイなど、余計な動作を排除し、決して反動を使うこともなく、そのままバットを振り下ろす。それこそ、広岡が、そして新田が理想とするバッティングスタイルだったのだ。
中村天風、藤平光一からの「教え」とは
新田だけではなく、広岡は心身統一合氣道会を立ち上げた藤平光一にも師事しており、1920年生まれの藤平との年齢差は12となる。両者が接点を持つきっかけとなったのは、広岡曰く「当時、日本人としてただ一人のヨガ伝道者であり思想家」の中村天風である。現役時代、いくら努力しても成績が伸びないことに悩んでいた広岡が門を叩いたのが中村天風だった。藤平の息子・信一との対談集である『人生の答え』(ワニ・プラス)には、藤平との出会いについて次のように記されている。
《私が天風先生の会に参加していることを知った早稲田大学の先輩の荒川博さんが、「合氣道のすごい先生がいるんだ!」と藤平光一先生を紹介してくれたのが最初です。(中略)藤平光一先生は「心が身体を動かす」ということを理論立て、誰にでも実践できるように教えてくれたので、野球にも活用できると思いました。》
藤平との思い出を水谷が振り返る。
「鹿児島・湯之元キャンプの初日の朝は広い座敷で正座して、藤平先生の指導による呼吸法から始まりました。臍下丹田と言うのかな? 丹田に気持ちを鎮める練習です。これはすごくプラスになりました。打ったり、守ったりするときに自分の気持ちがスッと鎮まるんです。それ以来、頭ではなく、丹田を意識するようになりました」
前掲書によれば、「臍の下の力の入らない部分、形のない無限小の点」については「臍下丹田」ではなく、「臍下の一点」であると広岡は述べている。水谷が続ける。