「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
“守備が上手すぎる監督”広岡達朗のお手本は「とにかく華麗でした」…ヤクルト時代の愛弟子・水谷新太郎が明かす「広岡さんの本当の指導力」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2024/02/21 17:01
広岡達朗監督の指導を受ける現役時代の水谷新太郎。守備練習で広岡が見せたお手本は「とにかく華麗」だったという
「とにかく自分のやるべきことを必死にやるだけでした。たまたまそんな思いで取り組んでいたら、広岡さんの目にかなったというのか、目をかけてもらえるようになった。とにかくチャンスを逃しちゃいけない。守備固めだろうが、代走だろうが、自分のできることは一生懸命やる。ただそれだけ、そんな思いでした」
たとえ技術は未熟であっても、足や肩など人にはない潜在能力を誇り、愚直に練習に取り組む若者――。それは、まさに「広岡好み」の存在だった。
「ネズミやバッタを捕まえるような感覚で…」
この頃の広岡と水谷の関係性について、水谷より2年先輩の八重樫幸雄は言う。
「広岡さんは徹底的に水谷を鍛えたし、水谷は妥協せずに練習するタイプだったから、お互いにいい出会いだったんじゃないですかね。広岡さんは、ふて腐れないで黙々と食らいついてくるタイプが大好きなんです。だから両者の相性はピッタリで、“何とかコイツを一人前にしたい”と、水谷のことを気にかけるようになっていったんでしょう」
両者の師弟関係は「遠征先のホテルの廊下」で、さらに濃密なものとなる。水谷が述懐する。
「遠征に行くと、いつも広岡さんの部屋に呼ばれました。あるいはホテルの廊下でゴロ捕球の練習に取り組みました。人の目があるからちょっと恥ずかしい気持ちもあったけど、基本的にそのフロアはヤクルトだけの貸し切りだったから、他の選手のことは気にせずに取り組みました」
当時、広岡に鍛えられた若手選手の誰もが経験した「止まっているボールの捕球」について、水谷が述懐する。
「もちろん、僕もやりました。自分の目の前にボールが置いてある。まずはそれを捕球することから始めました。止まっているボールですから、小学生でも、幼稚園児でも拾い上げることはできます。でも、それじゃあダメなんです……」
このとき広岡が何度も、何度も口を酸っぱくして言っていたのが、「ボールは生きている」ということだった。水谷が続ける。
「……イメージするなら、ネズミとか、バッタという感覚です。目の前にネズミが休んでいる、バッタが止まっている。それを捕まえようとしたら、どうしますか? いつ動き出すかわからない。だから、ソーッと近づいて、慎重に捕まえにいきますよね。軽い気持ちで近づいていったら逃げられてしまいますから」
そして水谷は立ち上がる。まるで、そこにボールが止まっているかのように静かに近づき、慎重に腰を落として丁寧に拾い上げる仕草を実演した。