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「命がけの勝負や」「父親が苦しみながら真剣に指す姿を…」1937年、阪田三吉66歳vs木村義雄31歳の「7日間対局」激闘の舞台裏 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2024/02/11 06:03

「命がけの勝負や」「父親が苦しみながら真剣に指す姿を…」1937年、阪田三吉66歳vs木村義雄31歳の「7日間対局」激闘の舞台裏<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

阪田三吉と木村義雄の「伝説の7日間対局」の舞台となった京都・南禅寺

 阪田「16年ぶりの晴れの対局に、全身の血潮が沸き立つ思いがします。全生命を傾け、天下に恥じない将棋を指したい。そんな阪田の将棋を見てもらいたい」

 木村「私はかねがね精気にあふれた将棋を指したいと思っています。阪田さんは私が願っている将棋を指されると思います。この一局に精魂を込める覚悟です」

 この世紀の一戦を実現させた読売新聞の将棋記者の菅谷が、阪田の長い年月のブランクを心配して〈事前の練習対局が必要ですか〉と尋ねると、阪田は「お心づかいはありがたい。でも今さら将棋盤に向かって何になりますか。稽古将棋も断っているくらいです。それに我が家には盤駒がありません……」と語ったという。

阪田が2手目に指した“常識外の端歩”

 昭和12年2月5日10時5分。阪田−木村の対局が始まった。

 先手番の木村は18分の考慮時間で初手に▲7六歩と角筋を開けた。常道の手である。対して阪田が12分で指した2手目が意表を突いた。

 1図は、阪田が2手目に端歩を突いた△9四歩(※外部配信でご覧の方は【関連記事】からご覧になれます)。後手番のうえに不急の手に思えるので、序盤で立ち後れの懸念が生じる。

 阪田は常識外の△9四歩をなぜ指したのだろうか。深慮遠謀の奇手、これぐらいで十分という自負、負けたときの言い訳など、いろいろな声が上がった。翌日の読売新聞には《阪田将棋の神髄 奇想天外の九四歩》の見出しが載り《その瞬間 木村の顔面がかすかに蒼白》と報じた。

 30年ほど前に刊行されたある阪田評伝の著作には、トップ棋士たちの次のような感想が載った。

「歴史の謎みたいなもの」(羽生善治)
「東京の理論将棋に対して、力で指す関西将棋」(中原誠)
「初手から変化することで、未知の戦いに持ち込む考えかもしれません」(谷川浩司)

 などである。阪田の孫弟子に当たる内藤國雄九段は自著で、「駒損さえしなければ、どんな形でも指せるという将棋観。強い人ほど将棋はそんなに簡単ではないことを知っている」と、阪田将棋の奥深さを述べた。

 近年は「一手損角換わり」、手損を承知の「角交換振り飛車」など、序盤で手損は良くないという常識を覆す戦法がよく指されている。その先駆者といえるのが阪田で、△9四歩は時代とともに評価が変わっている。

火鉢を用意すると「命がけの勝負や」

 2月の京都は極寒で、寺僧が対局室に火鉢を用意した。すると阪田は「火鉢にあたるような対局じゃない。命がけの勝負や」と言って、それを断ったという(なお後日に火鉢を取り寄せた)。

【次ページ】 父親が苦しみながら真剣に将棋を指しているのを…

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