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「命がけの勝負や」「父親が苦しみながら真剣に指す姿を…」1937年、阪田三吉66歳vs木村義雄31歳の「7日間対局」激闘の舞台裏 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byTamon Matsuzono

posted2024/02/11 06:03

「命がけの勝負や」「父親が苦しみながら真剣に指す姿を…」1937年、阪田三吉66歳vs木村義雄31歳の「7日間対局」激闘の舞台裏<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

阪田三吉と木村義雄の「伝説の7日間対局」の舞台となった京都・南禅寺

 木村と記録係らの食事は、南禅寺の近くの老舗料亭「瓢亭」から出前を取った。三食とも献立に工夫があり、美食家の木村を満足させた。中でも朝粥のうまさを初めて知ったという。阪田には知人の家から粥が運ばれ、おかずは生卵、湯葉や野菜のおひたしなど。阪田の後援者が生みたての卵を毎日届け、木村にも差し入れた。

父親が苦しみながら真剣に将棋を指しているのを…

 2図は、三日目の中盤の局面。阪田は序盤で△2二飛と得意の向かい飛車に振り、△2四歩と突いて2筋から反発した。木村の4七にいる左金に注目してほしい。通常は6九にいる玉の守り駒だが、阪田の攻め駒を封じる臨機応変の好手だった。阪田はその対策に苦慮し、2図の△3三桂に6時間も長考した。

 木村は作戦勝ちしたことで、精神的に余裕が出てきた。三日目の晩には寒さしのぎに燗酒を飲み、依頼されていた原稿を合間に書いた。

 一方の阪田は、対局中に苦悩の様子を見せた。付き添いの長女・タマエはそんな父親を見ていたたまれなくなった。すると阪田は休憩時に「私は父親として、子どもたちに残す財産は何もない。父親が苦しみながら真剣に将棋を指しているのを、せめて見てもらいたい」と語りかけ、娘を諭したという。

 木村は着実に有利を拡大していった。阪田は143分、127分、164分と長考を重ねたが、形勢を挽回できなかった。逆転の頓死を狙った手も木村に見抜かれた。

 七日目の2月11日13時7分。木村が95手で勝利した。

 3図は投了局面。木村の▲5五角に△同銀は、▲6三飛成△7三角▲8二金△同玉▲7二と以下詰み。

《勝てる者も敗れし者も、今はただ無言》

 対局者と関係者は、終局後に南禅寺の書院に出向いた。法務部長から茶菓の接待を受け、種々の宝物を見せてもらったという。阪田は「おおきにご苦労さまでございました」と挨拶し、タマエと一緒に大阪へ車で帰った。

【次ページ】 敗北したが、阪田は復帰した公式戦で健闘した

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