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「右肘手術の選択肢」「復帰直前のケガ」ヤクルト・奥川恭伸が多くを語らなかった“空白の2年間”の真実「結果で見返したいと思い続けて…」
posted2024/01/27 11:03
text by
横山尚杜(サンケイスポーツ)Naoto Yokoyama
photograph by
Kiichi Matsumoto
端から見れば停滞の4年間と言われるかもしれない。星稜高時代に夏の甲子園大会で154kmを計測するなど完成度の高い投球で脚光を浴びた奥川恭伸は3球団競合の末にヤクルトにドラフト1位で入団。チームトップに並ぶ9勝を挙げ日本一に貢献した2年目のシーズンを除くと、一軍での登板は2試合にとどまる。昨季は一軍登板がゼロ。その一方でプロ5年目を迎える奥川には秘める自信がある。
「昨年の今頃とは心身ともに全然違います。昨年もいけるという準備はできていた。実際に100球近く投げられて実戦に復帰できた。今年はもっと先まで見据えられる位置にいると思います」
多くを語らぬ「真意」
奥川はマウンドから遠ざかるほど、人前で多くを語ることを嫌うようになった。一軍のマウンドに立てていない事実を誰よりも重く受け止めているからに他ならない。心身ともに一進一退だった2年間。自身の右肘への懐疑的な視線と目に見えない相手からの誹謗中傷にはもう免疫がついたという。
2022年3月29日の本拠地開幕戦。4回まで1失点に抑えながらも右肘の違和感を無視できなかった。神宮球場がざわめいた途中降板。時計の針は今もこの試合でピタリと止まっている。
前年の21年、投球回はレギュラーシーズンで105回、クライマックス・シリーズファイナルステージで9回、日本シリーズで7回、それに加え東京五輪期間中のエキシビションマッチと二軍戦で計8回と、トータルで129回を消化。日本シリーズ第7戦にもつれた場合は年間イニング数が130イニングを超える計算だった。東京五輪の影響でシーズンオフは例年と比べ1カ月短く、リカバリーする時間も次シーズンを迎えられるだけのフィジカルも当時の奥川は持ち合わせていなかった。