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証言「森保のスパイクが隠されたり…」森保一監督、中学時代“陰湿イジメ”からの逆転人生「もう練習行かない」森保の父親が2度救った危機
posted2024/01/28 11:04
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
AFLO
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森保一を一言で表すなら?
もしそんなアンケートを実施したら、かなりの高確率で「いい人」があがるに違いない。「ブレない人」というイメージも高そうだ。
ブレない代名詞になっているのが、現役時代から変わらない短髪の前髪を下ろしたヘアスタイルだ。Jリーグ開幕前、マツダ所属時代から広島市内の『ヘアサロンOKIMOTO』に30年以上通い続けている。
カタールW杯最終予選では、吉田麻也や長友佑都らベテランの衰えがメディアから指摘されたが、彼らを使い続け、本大会でドイツとスペインに勝って決断の正しさを証明した。
采配についても、サンフレッチェ広島の監督時代、準備したやり方がうまくいかなくても試合中に簡単に変えなかった。最初は効果がないように思えてもしつこくやり続けると、相手に悪い意味で慣れが生じ、その隙からゴールを決められるからだ。
だが、森保は子供のときから「ブレない少年」だったわけではない。
むしろサッカーに関しては、メンタルの振れ幅が激しかった。内的要因と外的要因が絡み合い、中高時代に3度もサッカーをやめかけた瞬間があったのである。
「中学校にサッカー部がなかった」
1度目は中学の入学時だ。1968年生まれの森保は、1981年に地元・長崎市立深堀中学校に進学している。
じつは森保はサッカーを始めたのが小5と遅かった。にもかかわらず、小6のときに土井首サッカースポーツ少年団の一員として全国大会に出場する幸運に恵まれた。ポジションは臨時で務めたGKだったものの、大きな自信を手にしたに違いない。
ところが、深堀中学校に進学すると不運に見舞われてしまう。なんと同校にはサッカー部がなかったのだ。