- #1
- #2
箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝5区、相手選手からまさかの声かけ「一緒にシード取れないぞ!」… 大東大・菊地駿介に聞いた、法政大との“奇跡の共闘”の舞台裏
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byNanae Suzuki
posted2024/01/20 11:04
ゴール後に法政大の細迫海気と抱擁を交わしたシーンが話題となった大東大の菊地駿介。あのシーンに至るまでを聞いた
これほど楽しそうに駅伝を走るランナーはあまり見たことがないが、下級生の頃は涙に暮れた時期があった。谷を這うような時代があったことを知ると、この笑顔がまた特別な意味を持ってくる。
吉居大和らと仙台育英時代に駅伝優勝
菊地の名が一躍全国に知られるようになったのは、彼が高校3年生の時である。駅伝の強豪である仙台育英高のキャプテンとして、全国高校駅伝でチームを12年振りの優勝に導く。同級生には中央大の吉居大和や、東海大の喜早駿介らがいて、菊地もまた主要メンバーの一人だった。
大東大に進学したのは、高校の指導者で、尊敬する真名子監督の母校だったことが大きい。当時、大東大を率いていた奈良修監督から、いち早く声をかけてもらったという縁もあった。
低迷期、コロナ…そして寮を飛び出した
しかし、いざ入学してみると、部の雰囲気が期待とはかけ離れていた。当時、チームは低迷期に入っていて、箱根駅伝も2年連続の予選落ち。強豪校で揉まれてきた菊地にとって、練習はぬるくさえ感じられたという。
「自分がもっと練習をしたいと思っても、チームはそうじゃなかった。しかも、入学した年はちょうどコロナが流行りだした頃で、思うように練習できなかったのが辛かったです」
大学へも通えず、練習も集団ではできなかった。トレードマークの笑顔はマスクの下に隠れ、伝えたい思いは行き場を失って声にならなかった。「もう陸上を辞めたい」。そう思い、大学の寮を出て、実家へ向かったのは2年生の夏の終わりだった。
<つづく>