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「“神の一声”がなくなった」黒田剛が去った青森山田はどう変わった? “元10番”の新監督が語る、名門の重圧と意地「一番負けたくない人」
posted2023/12/30 11:07
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Yohei Osada/AFLO SPORT
――青森山田高校サッカー部の監督に就任して1年が経ちました。高校サッカー選手権の開幕を控えた時期ですが、ここまでインターハイ、プレミアリーグを戦い抜いてきたシーズンを振り返ってください。
正木 本当に、息つく暇もないという感じですね。これまでは黒田剛・前監督(当時/現・町田ゼルビア監督)が全ての最終決断を下していましたが、今は自分が最後の責任を負う立場になりました。明確に答えを出さなくてはいけない立場に変わったので、毎日が目まぐるしい。毎年、同じスケジュールですが、以前よりも時間を短く感じています。
――正木監督は19年間、コーチとして指導してきました。やはり監督とコーチでは役割が大きく異なるでしょうか。
正木 まったくの別物ですね。一番、違いを感じているのはマネジメントの部分です。サッカー部員や保護者とのコミュニケーション、新入生のケア、さらにコーチ時代はほとんど経験してこなかったメディア対応もある。他にも選手の進路に関わる大学関係者や活動をサポートしてくださる企業や行政とのやりとりなど、外部の方々と接する機会がすごく増えました。
――ピッチ内だけでなく、ピッチ外の仕事が増えたと。
正木 そうですね。コーチ時代も代行で会合に行ったことはありましたが、当時とは比べ物にならないほど多忙です。19年間で費やしてきた外部交渉の時間が、この1年間でゆうに超えました(笑)。ずっと一緒にいたのに黒田前監督がやってくれていたことの半分くらいしか知らなかったなと痛感しています。
コーチから監督に…選手との関係に変化は?
――ピッチ内の変化はどうでしょう。コーチ時代は選手と濃密にコミュニケーションを図っていた印象があります。時には親身に、時には厳しく接しながら叱咤激励していくスタイルでしたよね。
正木 選手との接し方はほとんど変わっていません。監督になった時に、「監督像とは何か」といろいろと考えることもありましたが、結論としては無理やり作り上げるよりは、いま自分がやれることに集中したほうがいいのかなと。ただ、一方で選手たちの私に対する接し方は変わったと感じています。
――それは多少の距離感ができたということですか? 今まで直接聞こえてきた声がコーチを経由して届いたり……。