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“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
“セクシー旋風”野洲の天才・青木孝太(36歳)は今「ウッチーや槙野、陽介…みんなと差が開いた」28歳で引退、第二の人生で苦しんだ無気力生活
posted2023/12/29 11:03
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
2005年度の高校サッカー選手権で席巻した野洲のセクシーフットボール。同校初の全国優勝に貢献した9番・青木孝太は、この活躍を契機にプロ入りを実現。文字通り、人生を変える大会だった。「調子乗り世代」の一員でもあった青木の18年前と今を振り返る【全2回の最終回/前編から読む】。
18年前、セクシーフットボール旋風の真ん中にいた男は今――。
青木孝太。野洲高校が高校サッカー選手権で初の全国優勝を達成した時のエースストライカーだ。36歳になった今も端整な顔立ちは変わらないが、タメ口だった口調は少し丁寧さを増している。
選手権での活躍が認められて当時J1のジェフ千葉に加入。世代別日本代表にも選出され、内田篤人や槙野智章、香川真司ら「調子乗り世代」の一員としてU20W杯に出場するなど、プロのキャリアは順調なスタートだった。
しかし、輝かしい時代とは対照的に、その後の足取りは多くを報じられていない。
「結局、セクシーフットボールと調子乗り世代の残像に置いていかれているし、僕だけそこから情報がアップデートされていないんです」
「レベルの違いに戸惑う毎日で…」
青木が千葉に加入した2006年は、シーズン半ばにイビチャ・オシムが日本代表監督に就任した頃。当時のジェフはJ1で躍進を続け、ナビスコカップでは2連覇を達成するなどまさにクラブの全盛期。同年にドイツW杯に出場した巻誠一郎らとポジションを争わなければならなかった。
「レベルの違いに戸惑う毎日で、本当に必死でした」
高校サッカー全国優勝という看板を引っ提げていたとしても、壁は分厚すぎた。1年目からリーグデビューを飾り、2年目には3ゴールを記録。だが、以降は出番をつかめず、2009年のシーズン途中でJ2ファジアーノ岡山に期限付き移籍を決断。
この年を境に青木がJ1の舞台に戻ることはなかった。