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“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「怒鳴られるの絶対嫌、よかった野洲で」高校サッカーに衝撃を与えた“セクシー天才集団”「罰走の横で談笑ストレッチ」坊主・鹿実と伝説の決勝
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2023/12/29 11:02
2005年度高校サッカー選手権・決勝で鹿児島実業を下して全国優勝を達成した野洲。ストライカーとして活躍した青木孝太(写真右)が当時を振り返った
中学時代は地元・滋賀県のセゾンFCに所属。そこで異才の指導者である岩谷篤人の指導を受けた。高校進学時、その岩谷が野洲に関わることを聞いた青木は、第一志望を静岡学園から変更。前述した平原や乾など、当時の野洲を彩るメンバーのほとんどが青木と同じセゾンFC出身である。
岩谷と、チームを率いた山本佳司監督の方針は「個性を消さない・型にはめない」。柔軟な指導のもと、野洲の選手たちは個人技をどんどん磨いていった。
「岩谷さんや山本さんから常に『相手の逆を取れ』とか『相手が何を考えているかわからんと思わせるプレーをしろ』『タッチは細かく、緩急をつけろ』『パスは人と人の間を通せ』『(試合を)上から見ろ』と言われ続けました。好き勝手やるのではなく、常に意図を持ち、それを正確に表現できるように。毎日の練習の集中力は高かったし、意識が緩むことは一切なかった。入学時から『このメンバーなら全国制覇できる』と信じていました」
乾が激怒?「サポート行っても無駄やん」
中学時代は「ミスしたらあかんという気持ちでプレーしていた」と消極的だった青木が、高校3年間で大きくプレースタイルを変えていく。
「山本さんからは『もっと前を向け、ビビるな』とずっと言われていましたね。1年の時から上手くない僕を使い続けてくれたので、そのおかげで成長することできました」
後輩の乾から『サポートに行っても無駄やん。1人で攻撃してくれ」とよく怒られたほどエゴイスティックなプレイヤーに成長していった。
さらに、野洲はプレー面以外でも自由だった。