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世界的名手ペリエが「もう乗りたくない」…ステイゴールドはなぜ惜敗を繰り返したのか? 相棒・熊沢重文に聞く“肉食動物並”のクセ馬伝説
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/23 11:03
多くのファンに愛されたステイゴールドと熊沢重文の名コンビ(写真右)。1999年の天皇賞・秋では武豊のスペシャルウィークにクビ差及ばなかった
障害では、平地で乗るとき以上に、人と馬との信頼関係が必要になる。
「調教で馬に携わる時間が、平地の5倍から10倍くらい長くなる。互いをわかり合うために障害を跳ぶような感じで、自然と思い入れも深くなります。ぼくは怖くなくても、馬は恐怖心を抱いていて、だからこそしっかり上に跳ぶのかもしれない。いい感じで人間の思いを理解してくれる馬もいれば、悩んでしまう馬もいて、難しい。そういう難しさも障害の魅力で、難しいからこそハマってしまったのかなという気がします」
のちに「ずっと憧れていた」という中山大障害でも勝利をおさめるのだが、それについては後述する。
まるで肉食動物?「オリビエがもう乗りたくないと…」
「騎手・熊沢重文」を語るうえで、ダイユウサクと同じくらい大きな存在は、通算50戦7勝、2着12回、3着8回の成績をおさめ、種牡馬としてオルフェーヴルやゴールドシップなどの超大物を出したステイゴールドだ。熊沢さんが初めて乗ったレースは旧4歳時、1997年2月の未勝利戦。最終コーナーで逸走して競走中止になった。それを含め、最後のコンビとなった2000年の天皇賞・春まで33戦に騎乗し3勝したが、2着10回(うちGI3回)、3着7回(うちGI2回)と、悔しいレースが多かった。
惜敗がつづいたのは、能力が足りなかったわけではなく、気が悪くてレースに集中しようとしなかったからだ。調教助手時代に乗っていた池江泰寿調教師によると、「肉をやれば食うんじゃないか」と思ったほど凶暴だったことに加え、左にモタれると楽ができることをわかっていて、つねに左にコースアウトする機を狙っていたのだという。熊沢さんも、この馬の気性難には手を焼いた。
「デビュー戦と2戦目に乗ったオリビエ(・ペリエ)が、もう乗りたくないと言うくらい、口向きが悪かった。ソエが痛かったころにレースを使ったので、逃げることを覚えたんだと思います。素質は早くから感じていました。走る馬に特有のバネがあって、芯がしっかりして、乗っていると400kgそこそこの馬には感じなかったですね。ムダのない、上手な体の使い方をする馬でした。あの気の悪さや激しさが、産駒の勝負強さにつながっているわけですが、継ぐべきところを継いでいる子孫が走っているのを見ると、いいところというのは、おまけとしてついてくるものなんだと思いますね」