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「単勝1万3790円」ダイユウサクの有馬記念“史上最大の番狂わせ”はフロックではなかった…熊沢重文がいま明かす勝算「どうして人気ないのかな?」
posted2023/12/23 11:02
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
JIJI PRESS
“初めての東京競馬場”でGI初騎乗・初勝利
その報せが届いたのは、イクイノックスが驚異的なレコード勝ちをおさめた天皇賞・秋の翌日だった。平地と障害でJRA通算1051勝を挙げた熊沢重文さんが、11月11日付で騎手免許を返上し、引退することが発表されたのだ。
競馬学校騎手課程では、横山典弘、松永幹夫調教師らと同期となる第2期生。柴田善臣より1期下で、武豊より1期上だ。
1986年にデビューし、37年の長きにわたり第一線で活躍してきた。今年55歳。こうして「熊沢さん」と記さなければならないのは寂しいが、その表情からも言葉からも、「やり切った」という思いが伝わってきた。
「騎手・熊沢重文」と聞いて、誰もがまず思い出すのは、14番人気のダイユウサクを勝利に導き、大波乱となった1991年の有馬記念だろう。あれが熊沢さんにとって2度目のGI勝利だった。
GI初制覇は、その3年前、1988年のオークスだった。騎乗馬は、これも二桁人気(10番人気)のコスモドリーム。
当時、熊沢さんは騎手デビュー3年目の20歳。なんと、このオークスが、GI初騎乗のみならず東京競馬場での初騎乗だった。
「騎手として、西日本から出ること自体が初めてでした。阪神と京都、中京、小倉でしか乗ったことがなかったんです。あの日は阪神の最終レースが終わってからひとりで新幹線に乗って東京に向かいました。あらかじめ、電車をどう乗り継いで競馬場に行けばいいのか調べておいたんですけど、JRだけでは行けないので、心細かったですね。でも、東京駅に着いたら、たまたま布施(正・元調教師)先生がぼくを見つけてくれて、一緒に競馬場まで行ってくれたんです」
今ほど東西の人馬の行き来が盛んではなかった時代ならではのエピソードである。翌日、熊沢さんが騎乗したのはオークスひと鞍だけだった。
「朝、芝コースを歩いて感触を確かめました。前日の雨の影響で、ちょっと緩いなと思いました。わからないことだらけなので、すべてインプットしなくては、という感覚でしたね」