沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
「あの人は障害の天才」武豊も絶賛した熊沢重文の技術とは? 有馬記念と中山大障害を制した名手が“危険なレース”に乗り続けた本当の理由
posted2023/12/23 11:04
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Number Web
単勝万馬券のブービー人気で有馬記念を制したダイユウサクや、“善戦マン”から大種牡馬へと立身出世を遂げたステイゴールドなど、数々の名馬とともに競馬界を盛り上げてきた熊沢重文。今年11月に引退した通算1051勝の名手を語るうえで、欠かすことができないのが障害レースでの活躍だ。常に落馬の危険と隣り合わせの過酷な障害レースを、なぜ楽しむことができたのか――最良のパートナーとの出会いと、武豊をして「見ていて落ちる気がしない」と言わしめた“二刀流”の真髄に迫った。(全3回の3回目/#1、#2へ)
テイエムプリキュアで再び“大波乱”を演出
ダイユウサクやステイゴールドのほかにも、熊沢重文さんと名コンビとして活躍した馬は何頭もいる。GIには手が届かなかったが、重賞を2勝し、1996年のスプリンターズステークスで、フラワーパークと僅か1cmの鼻差で2着となり「名勝負」と讃えられたエイシンワシントンも忘れられない。
「すごく掛かる馬だったので、いろんな道具を使って工夫しました。毎日が勝負でしたね。どこかでちょっと力を抜くことができれば、もっと活躍できたと思います。スプリンターズステークスのときは間隔を詰めて使っていたこともあって、肩の出が悪く、1歩目で躓いたんです。あれがなければ、あの鼻差は何とかなったのではと思いますが、よく頑張ってくれました」
2005年の阪神ジュベナイルフィリーズを8番人気の低評価を覆して勝ったテイエムプリキュアは、2009年のエリザベス女王杯で12番人気ながら2着となり、馬連10万2030円という大波乱を演出した。
「この馬も能力が高かった。だんだんいろいろ変な癖を出してきた難しい馬で、エリザベス女王杯では、自分の競馬をするしかないと思っていました。要は、逃げたかったんですけど、ぼく以上にクィーンスプマンテ陣営が行きたいと思っていたので、2頭で後ろを大きく離して先行する形になった。結果的にブエナビスタ(3着)を抑えたのだから、いいレースをしてくれましたね」