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「藤井聡太らの研究に必須」コンピューター将棋と初対局・米長邦雄は晩年ガンとも闘った「《あちらの営み》に支障は…」医師が苦笑の逸話

posted2023/12/18 11:00

 
「藤井聡太らの研究に必須」コンピューター将棋と初対局・米長邦雄は晩年ガンとも闘った「《あちらの営み》に支障は…」医師が苦笑の逸話<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa/JIJI PRESS

藤井聡太竜王名人を筆頭に、将棋界でAI研究は日常となった。その中でコンピューターと電王戦で初めて戦った米長邦雄永世棋聖の晩年を知る

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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Keiji Ishikawa/JIJI PRESS

 12月18日に命日を迎えた米長邦雄永世棋聖は、不世出の大棋士だった。「泥沼流」と称する独自の勝負術で活躍し、最年長記録の50歳で名人位に就いた。明るい性格と個性的な生き方は人気を呼び、「さわやか流」の愛称がついた。そして日本将棋連盟の会長として、子どもたちへの普及、将棋ソフトの発展などに力を入れた。

 そうした実年期の65歳のとき、前立腺ガンが発覚して手術を受けた……。弟弟子に当たる田丸昇九段が、米長の生きざまを2回にわたって振り返る。【棋士の肩書は当時。※本サイトの前立腺ガンに関する記事は、米長の著書の一部を引用】(全2回の第1回/後編に続く)

会長就任後、様々な事業を推進していった

 米長邦雄は永世称号を取得した棋士として、日本将棋連盟の会長として、精力的に活動してきた。講演や著作では自身の人生哲学を語り、各界の著名人と交流して広い人脈を築いた。盤上盤外にわたって充実した人生を送る中で健康にも留意し、心身ともに壮健だった。

 米長は2005年5月に日本将棋連盟の会長に就任し、将棋界の発展と将棋の普及を推進していった。それらの事業と成果を列記する。

・元アマ名人の瀬川晶司(現六段)の請願を受け入れ、05年にプロ編入試験を戦後初めて実施
・06年に名人戦の契約を毎日新聞社と朝日新聞社の共催とし、両社の普及協力金で普及活動に邁進
・ネット対局やネット中継に参入
・女流棋戦の新設と拡充
・JTこども大会に参加者の激増
・11年に公益社団法人に移行、東日本大震災を受けての復興支援
・同年、女流棋士・里見香奈の奨励会編入を容認
・12年、将棋400年祭を開催。将棋文化検定を実施など

引退から8年、コンピューターとの対戦

 米長が中でも力を入れたのは、急速に進歩していた——現在では藤井聡太竜王・名人ら各棋士が研究で使用するのが日常となっている——コンピューター将棋ソフトの発展だった。棋士とソフトとの対戦は、興行的に成功すると考えた。そのために、公の場で棋士とソフトが対戦することを禁止した。ソフトが勝ってしまうと、話題性や希少価値が薄れるからだ。

 そして、IT関連企業ドワンゴの協賛を得て、2011年の春に棋士とソフトが対戦する『電王戦』を立ち上げた。

【次ページ】 「ボンクラーズ」に苦戦も相手の苦手を発見した

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