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「AI将棋に初めて負けた名棋士」米長邦雄69歳“弱音と本音の最期”死の4カ月前、抗ガン剤での剃髪姿となり「仏の道に近づいて…」
posted2023/12/18 11:01
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
Kyodo News
米長邦雄永世棋聖は第1回『電王戦』で最強ソフト『ボンクラーズ』と対戦した。勝つために必死の努力を重ねたが、体力を消耗する結果となった。第2回は、米長の前立腺ガンとの闘病、病床での思いとエピソードなどを、弟弟子に当たる田丸昇九段が振り返る。【敬称略・棋士の肩書は当時】(全2回の第2回/前編からの続き)
「中古車がレーシングカーと競争してしまった」
2012年1月14日。第1回『電王戦』、米長永世棋聖とコンピューター将棋ソフト『ボンクラーズ』の対局が将棋会館の特別対局室で行われた。持ち時間は各3時間。ソフト側に弟子の中村太地五段が座って指し手を代行した。世紀の一戦として、多くの報道陣が集まっていた。
後手番の米長は2手目に△6二玉と指した。思い描いていた作戦の第一歩だった。そして、△8三玉と飛車の頭に囲い、角筋を開けなかった。攻撃よりも守備に徹したもので、金銀4枚を玉の周囲に集結させた。
米長は「万里の長城」と形容した陣形(第1図)を築いて満足な様子だった。将棋ソフトを焦らせる狙いだったが、感情がないので効き目はあまりなかった。やがて、辛抱した手をずっと重ねてきたので、決着をつけようと「最善」のつもりで指した手が悪かった。米長の表現によると「中古車がレーシングカーと競争してしまった」という。その一手を境に、形勢は米長不利に傾いた。
「ボンクラーズ」は攻めの糸口をつかむと怒涛の勢いで進撃し、米長の「万里の長城」はたちまち崩壊した。
第2図は終了局面。以下は△5五玉▲6六銀打△4四玉▲3六桂△3五玉▲2六金で詰み。
公式の場で棋士が将棋ソフトに初めて負けた瞬間だった。
第1回電王戦の対局は『ニコニコ生放送』で生中継され、のべ100万人以上が視聴して人気を博した。そして2013年の第2回からは、5人の棋士と5種の将棋ソフトが対戦する団体戦形式で開催された。
晩年の米長は強権的な面があった
米長は晩年、結論を急ぐ傾向があった。