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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「野球を売りにしたくないんですよね…」“阪神Vの立役者”が北新地で人気店を営むまで…現役引退→初めて包丁を握った右腕の「第二の人生」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/20 11:30
2005年秋のヤクルト戦で力投する阪神・桟原
現役中は決して触らなかった「包丁」
大阪出身で、2004年から地元の阪神でプレーした。中継ぎ右腕として05年の優勝にも貢献。その在籍中に出合った味が、大阪・ミナミの鶏焼き店だった。12年に引退後、新たな人生を模索するなか、一念発起して、飲食業界でのチャレンジを決めた。
「現役時代に食べに行って、とても美味しかった。その鶏を広めたいと思いました」
かつて足しげく通ったミナミの店に頼み込んで修業を始めた。投手だった頃は手が商売道具だから、包丁を触ったことがない。営業前の食材の仕込みに始まり、接客のコツや経営のノウハウなど、飲食業のいろはを学んだ。修業は1年3カ月に及び、その後、晴れて北新地に自らの店を構えた。
桟原が立つキッチンは、投手として投げていたマウンドとよく似ていた。
視野を広げ、全体を見るのもそのひとつ。席数は18席にとどめている。決して大きくない店の広さはオープンする前から桟原が決めていたことだった。
「厨房にいて、パッと顔を上げたときに、全部のテーブルの状況を見られるようにしたかったんです。テーブルが遠くにあったら見えないですよね。だから、お店の大きさはこれくらいと決めていました。自分で回せる人数が基準になりました」
接客でも心を砕く「テンポ」
かつて細心の注意を払いながら強打者と対峙したように、いまは客に対して、こまやかに気配りする。
ある時、店を訪れた同業者から感心されたことがあった。
「サジは(メニューを)出すのが早いよな」
修業の時、ホールでの接客で教わったことだった。オーナーに「なんでもいいから、とにかく1つ出しなさい」とアドバイスされたという。注文が立て込むと、つい、食事を出すのが遅れがちになる。
「お客さんを退屈させてはいけません。出てこないなと思わせてはいけない、ということです。(注文メニューで)出す順番も大事ですが、早く出すことも心がけてます」