甲子園の風BACK NUMBER
《青春って密》《人生は敗者復活戦》“名言メーカー”仙台育英・須江航監督…「言葉力」の原点は高3時代「怒鳴ってばかり」の学生コーチ経験にアリ
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/09/17 11:05
昨年の夏の甲子園で優勝、今年も準優勝とその育成手腕を見せた仙台育英・須江監督。その原点は高校時代にあった
「お前らふざけんなよ、そんなんでやっている意味あるのかよ、みたいな振る舞いを繰り返していくと、だんだん感覚がおかしくなってきて。こっちがせっかく裏方をやってやってるのに……みたいになっていくんですよね。レギュラーのくせして練習もしないで、みたいに少しさぼっている選手にも当たるわけです。そうなっていくと、選手らとの人間関係も成立するわけがないんですよ
あの頃のチームは「僕1人対多数の部員」みたいになっていましたね。その中で僕のことを支持してくれるのは下級生だけ。なぜかと言うと、下級生に対して理不尽な扱いをする先輩を僕が怒るので、自然とついてきてくれるようになったからです。僕は同級生と当時は喋ったり一緒にご飯を食べたりしたことはなかったです。隣のイスに座っていても、ほとんど話したことはなかったと思います」
さらに3年生になると、状況は更にマイナスの方向に向かう。記録員としてベンチ入りした3年春のセンバツで準優勝し、お祝いモードになったことでチームのモチベーションが低下してしまったのだ。
「チームの雰囲気が“よくやったでしょ”みたいになっちゃって。センバツ後にけが人が続出して、練習しない選手も出てきてチーム状況が悪くなって……。5月くらいに練習をボイコットする選手も出てきたんですよ。『どうなってるんだ』って怒る監督と、何もしない選手の間に挟まれた僕が、メンバーにも控え選手にもキレちゃって。そこでチームが空中分解しちゃったんです。能力はあったから夏の甲子園には行けたんですけれど……」
同級生との楽しい思い出は…「一切ない」
当時の仙台育英は大所帯だったが、現場の指導は佐々木順一朗監督(当時)と、後に京都翔英高で監督を務めた故・浅井敬由コーチの2人だけで行っていた。
基本的には選手にチーム運営を任せるスタンスで、学生コーチの須江自身が心を鬼にしなければならなかったという現実もある。そのため須江は自分で考え、苦悩した。高校生活は同級生と横並びになって楽しんで思い出が作れるものだが、「そういう記憶は一切ないんですよね」と笑う。
昨夏の甲子園で初めて母校を全国制覇に導いた後、実は同級生が当時のメンバーを集めてお祝いをしてくれたことがあった。