甲子園の風BACK NUMBER
「応援のせいなんて1%も思っていないですよ」仙台育英・須江航監督が振り返る“あの”甲子園決勝戦「慶応さんが普通に強かった。完敗です」
posted2023/09/17 11:07
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
JMPA
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今夏の甲子園の1回戦で難敵の浦和学院を19−9で破り、試合後、取材の場にびっしょりと汗をかいて現れた須江航監督は、激しい試合だったにも関わらず、再三「今日の試合はラッキーが重なった」と口にしていた。
「どんなラッキーだったのか言いましょうか」
あまつさえ、自身からどれだけラッキーな要素があったかを挙げ始めたのだ。
酷暑の夏の甲子園で試合開始時間が遅くなり、第3試合だったにも関わらずナイターになって涼しい中で試合ができたこと。初回に打球がイレギュラーして先制に繋がったこと。序盤、相手の良い当たりが野手の正面を突いたことなど――すらすらと語りだした。
「実際はもっとあったんですけれど、あまり言うとくどくなるので(笑)」
そう言って相好を崩す須江監督は、今年で40歳になった。高校野球界では監督としていよいよ脂が乗ってくる年齢でもあるが、すでに今夏までで6度の甲子園で17勝を挙げ、取材でもベテラン監督のように落ち着いた立ち振る舞いが目に留まる。
もともと「人前で喋るのは決して得意ではない」
雄弁さ、達者な語り口を聞くと、表に出て話すことが生まれつき性分に合っている監督なのかという印象を受ける。だが、幼い頃は表に出るのは苦手で、人前で喋るのは決して得意ではなく、むしろ恥ずかしがり屋だったという。
小学校時代は勉強もできてスポーツも万能なクラスの中心的な存在だった。いわゆる“イケてる男子”だ。小学校高学年で身長は既に165cmあった。
「でも今、身長は168cm。いわゆる早熟型です。最終的には野球も背も伸びなかったんですよ。中学1年生の時はほぼオール5みたいな成績だったのに、『勉強ができるから授業さえ聞いていたらいいでしょ』みたいに努力しなくなったんですよ。しまいに授業も聞かなくなってきて、3年生の頃には成績表も3がほとんどで4がひとつかふたつ。真ん中よりやや上くらいかな……運動も勉強も、全部そんな感じでした」
そんな「真ん中よりやや上くらい」だった少年は、18年1月に母校・仙台育英高の野球部監督に就任すると、指導者として4回目の甲子園だった昨夏に、東北勢初となる全国制覇を果たしてみせた。
ただ、2連覇の期待がかかった今夏の甲子園は、初戦から立て続けに全国屈指の強豪校との対戦が続いた。