- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
連投の疲労、仲間との不協和音…江川卓“最後の甲子園”で何が起きていたのか? 呪縛から解放されたラストボールが「高校野球で最高の1球だった」
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/22 17:02
1973年、夏の甲子園で力投する江川卓。連投による疲労や得点力不足もあり、作新学院は2回戦で銚子商に敗れた
7回に相手守備の乱れにも助けられて追いついたが、結果的に延長15回までもつれる大熱戦となった。2-1で勝ったものの、江川はこの試合で219球を投げることになる。被安打7で、23奪三振、3与四死球。
そして、1週間後の2回戦で、「怪物」は崩れ落ちることになる。
「江川がマウンドに上がると土砂降りに…」
7年前の取材で、先輩の西村欣也記者は銚子商(千葉)と対戦した2回戦の映像を江川さんと一緒に見ている。本人はこう語ったという。
「いま評論家として見ると、この時の江川は明らかに肩が下がっている。不遜に聞こえるかもしれないが、11本もヒットを打たれるなんて考えられないもの」
その理由は?
「1回戦で延長15回を投げた疲れが抜けていなかったんだろうね」
1回戦は8月9日で2回戦は16日。十分な休養期間はあったはずだ。
「たぶん練習試合の疲れがたまっていたんだと思う。春の選抜大会の後は毎週のように各地で試合が組まれていた。金曜に学校を出て、土、日に試合して月曜に学校に行く。僕は必ず投げなきゃいけない。この繰り返し」
「怪物」フィーバーはさまざまな面で、チームをむしばんでいったのだ。
銚子商との2回戦、江川が走者を出さなかった回は1、4、5回の3イニングしかない。相手をまったく寄せ付けなかった「怪物」の姿ではなかった。
8回をすぎたあたりから降り始めた雨も、「怪物」を苦しめた。
「うちが守っていると小降りなのに、江川がマウンドに上がると、気の毒なぐらい土砂降りになった」と銚子商の6番を打った岩井美樹さんは回想する。のちに国際武道大学を大学球界の強豪チームに育て上げた監督だ。
実は銚子商は前年秋以降、作新学院と3度対戦している。春と秋の関東大会で敗れた後、練習試合も行った。打倒・江川に燃えた斉藤一之監督の執念でもあった。
江川を研究する中で、天候による影響も調べた。
「曇りで湿気がある日は絶好調、晴天で暑い日は調子が落ちる。最も苦手なのは大雨」
下半身を使って投げる江川は、足元が緩いと安定感がなくなるからだ。
「怪物」の疲労、仲間との不協和音、銚子商の執念、そして大雨……。
0-0のまま延長に入り、雨が激しくなった10回裏。江川は2死一、二塁からライト前安打を打たれた。「終わった」と江川は思ったという。しかし、捕手の小倉のブロックもあって二塁走者は本塁でアウトになった。