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甲子園の風BACK NUMBER
連投の疲労、仲間との不協和音…江川卓“最後の甲子園”で何が起きていたのか? 呪縛から解放されたラストボールが「高校野球で最高の1球だった」
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/22 17:02
1973年、夏の甲子園で力投する江川卓。連投による疲労や得点力不足もあり、作新学院は2回戦で銚子商に敗れた
その瞬間、「えっ? まだやらなきゃいけないの、というのが正直なところだった」と江川さんは先輩記者の取材に打ち明けている。「やっと終わった」「騒動からも解放される」と打たれた瞬間に感じたからだという。それほどまでに疲れていたということだろう。
「あれが高校野球で最高の1球だった」
そして、さらに雨脚が強くなった12回裏。
「もう、本当の土砂降り。ロージンなんて役に立たなかった」と江川さんは回想する。
明らかに手元が滑り、ボールが高めに浮く。2四球とヒットで1死満塁というピンチを招いた。ストライク、ボール、ボール、ファウル、ボールでフルカウント。
ここで、山本監督の伝令がマウンドに走り、内野手が集まった。
「まっすぐを力いっぱい投げたい。それでいいか」
江川は仲間に問いかけた。
「お前の好きなボールを投げろ。お前がいたから、おれたちここまで来られたんだろ」
そう返したのは一塁手の鈴木だった。「江川と仲が一番悪かった」と言われた選手だ。
最後の1球は、高めに大きく外れるボールとなった。
それでも、江川さんは「あれが高校野球で最高の1球だった」という。
その理由は直前のマウンドでの会話にある。
「鈴木と仲が悪かったわけじゃない。でも、ぼくは『お前一人のために野球をやってるんじゃない』か『勝手にどうぞ』という言葉を予想していた」と先輩記者に打ち明けている。
雨中の押し出し四球で、「怪物」は崩れ落ちた。
「だけど、江川は結局、打たれて負けてない。春の広島商戦はエラー、うちに負けた夏は押し出し四球だからね」と銚子商の岩井さんは言う。
相手に倒されたわけじゃない。「怪物」は最後まで「怪物」のまま、甲子園を去った。
そして、当事者たちにとって、それは悲劇ではなかった。「怪物」と仲間たちはその瞬間に一つになり、すべての呪縛から解放されたのだから。
<前編から続く>