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甲子園の風BACK NUMBER
作新学院にとって江川卓の存在は大きすぎた…「とにかく異常。チームが壊されちゃう」50年前、“フィーバー”の渦中で苦悩した関係者たちの証言
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/22 17:01
1973年、春の選抜で1大会60奪三振の記録を打ち立てた作新学院の江川卓。その後の“江川フィーバー”は本人やチームメートに苦悩をもたらした
強力打線が23球目でようやく“初ファウル”
江川の全国デビューは、1973年春の第45回選抜高等学校野球大会だった。開会式直後の試合で、大阪の強豪校・北陽(現・関大北陽)と対戦した。
SNSがある今のように情報手段が発達した時代ではない。栃木県に「怪物」がいるという噂は広がっているが、映像でも実際にそのピッチングを見た人は少ない。
その「怪物」がついにヴェールを脱ぐ。阪神甲子園球場には満員の5万5000人の観衆が詰めかけ、日本中の野球ファンがテレビの前で固唾をのんで見守った。
ウォーミングアップの第1球を投げた瞬間、あまりのボールの速さに、「ウォーッ」というどよめきに球場は包まれたという。
実際、「西の横綱」と評判だった北陽の強力打線が、バットにボールを当てることさえできない。
2回、北陽の5番打者が一塁内野席にファウルを打った。プレーボールから23球目に、ようやくバットに当てることができたのだ。それだけで、どよめきと拍手が起きている。
作新学院は2-0で勝利し、江川は19三振を奪った。
2回戦は小倉南(福岡)を相手に7回1安打10奪三振無失点、準々決勝は1安打20奪三振で今治西(愛媛)を完封した。3試合25イニングを投げて49奪三振。被安打は計6本で失点ゼロ。
もはや優勝できるかどうかという問題ではない。「江川は優勝するまでに、三振を何個とるだろうか」と注目を集めた。だが、春の嵐のように、江川フィーバーを巻き起こす「怪物」の前に立ちはだかったのが広島商だった。
まだ見ぬ「怪物」の噂を聞き、全国の強豪校は早くから対策を講じていた。
星稜の山下智茂監督(当時28歳)は「江川」と大きく書いたユニホームを着て、自身がマウンドの3メートル前から投げて、部員に打ち込ませたという。この大会で初優勝する横浜の渡辺元智監督(当時28歳)も、「江川を倒さなければ日本一になれないという思いで練習した」と振り返る。
広島商の迫田穆成監督は当時34歳だった。
「江川のボールはバントすらできんらしい。それで、どうやって点をとるかを考えた」
迫田監督が考えた秘策はこうだ。
なんとかして無死か1死で二、三塁をつくる。そこでスクイズを仕掛けるが、空振りするだろう。三塁走者は三本間に挟まれ、最後は本塁付近でファウルゾーン側に逃げる。その走者に捕手がタッチしているスキに、すぐ後ろから来た二塁走者が本塁を陥れる――。