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ベストナイン2回の名内野手は引退後なぜ大学院に通い、母校・法大野球部へ?「野球だけしていれば世渡りが…の時代では」〈大島公一に聞く〉

posted2023/07/09 11:01

 
ベストナイン2回の名内野手は引退後なぜ大学院に通い、母校・法大野球部へ?「野球だけしていれば世渡りが…の時代では」〈大島公一に聞く〉<Number Web> photograph by Kou Hiroo

現在の大島助監督

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Kou Hiroo

 プロ野球で実績を残し、現在はアマ球界に経験を還元しようとしている人々は今どう奮闘しているか――オリックス時代、イチローと上位打線を組んだ経験を持つ大島公一氏に話を聞いた(全2回の2回目/#1も)

 法政二高、法政大、日本生命を経て1992年ドラフト5巡目で近鉄に入団した大島公一氏は96年にオリックスに移籍、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回の名内野手となる。2005年オフに引退してからは、コーチとしてプロ野球界に残った。

新球団・楽天の立ち上げを見たかったから…

〈2004年に、翌年からオリックスに復帰する仰木彬監督からコーチ就任を言われたのですが、お断りして、分配ドラフトで楽天に移籍したのですが、1年で引退してオリックスのコーチになりました。でも、その時には仰木さんは病気で退団されて中村勝広監督になっていた。

 仰木さんはすでに相当お身体が悪かったようで、西武ドームの階段を上がれなかったと聞いたことがあります。選手としてはいろいろ教えていただきましたが、選手と指導者の関係では距離感があったので、コーチとしてもう少し近くで見ておきたかった気持ちはありましたね。でも同時に、楽天という新球団の1年目、立ち上げを見ておきたかった思いもあって、コーチ就任をお断りしたんです〉

 そんな恩師の一人、仰木彬氏は2005年12月15日に世を去った。

プロ野球のコーチとして順調だったように見えたが

 大島氏は2006年にオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任。以後、二軍の打撃、守備走塁コーチを歴任する。プロ野球選手の引退後のキャリアとしては順調と思われたが、2015年オフに退団した。その決断に至るまでに、大島氏はどんなことを考えていたのだろうか。

〈この年に「来年から編成の仕事をしてほしい」とフロント入りのオファーをいただきました。でも僕自身はユニフォームを着ることに魅力を感じていたこともあって、これを機に一度はプロ野球を離れてみようと思いました。それとともに、選手を引退して、“ペーペー”でコーチになってから手探りで選手を指導してきたけども、「指導者として、本当にこれでいいのかな」、「もっと学びたい」という気持ちがありました。そこで近鉄、オリックスのチームメイトで、当時日本ハムの投手コーチだった吉井理人さんに連絡したんです。吉井さんは、前年、筑波大学大学院の川村卓准教授のもとでコーチングなどを学んでおられた。そこで、川村先生におつなぎいただきました。

 川村先生とプロ野球選手の御縁は、元西武、日本ハムの投手で、日本ハムコーチから筑波大学大学院に進まれた新谷博さんがいたり、ヤクルト、日本ハム、ロッテの選手だった秦真司さんや、野茂英雄投手のトレーナーだった立花龍司さんなどが、川村先生に師事しておられました。大学院には2年半通いましたが、その傍らJスポーツの解説者などをしていました〉

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