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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「イチローの打撃練習」の衝撃…“仰木マジックつなぎ役”は見た「イチロー選手は全部HR狙い。誰よりもはるか遠くに…場外弾も」
posted2023/07/09 11:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
JIJI PRESS
プロとアマの垣根が低くなって、近年は「元プロ野球選手」が「アマチュア野球の指導者」になるケースが増えている。日本のトップリーグを経験した野球人がアマチュア野球の指導をすることの影響力は非常に大きい。こうした「元プロ」の野球人が日本野球を大きく変えていく可能性もあるだろう。
そこで「プロからアマへ 可能性の追求」と題してプロ野球出身のアマチュア野球指導者に話を聞いていきたい。まず今回は近鉄、オリックスで好守巧打の名内野手として鳴らし、イチローの前を打つ2番打者を務めた経験を持つ大島公一氏(現・法政大学野球部助監督)に話を聞いた。
高校時代、身体が小さくてドラフトには
「関西の方が長くなりましたが、もとは東京の出身です」
こう切り出した大島氏は、自身が野球を始めた年齢、そして高校時代の記憶を辿る。
〈小学校2年くらいからリトルリーグのチームに入りました。高校は硬式のボーイズリーグに進んだのですが、監督さんが法政二高とご縁があって、進学することになりました。チームから法政二高には4人が進みました。1年生は控えでしたが、2年春の甲子園に出場して、2年からはレギュラーで出場していました。そのころから二塁手でしたね。当時からプロに行きたい気持ちはずっと持っていたけど、身体が小さかったし、ドラフトにかかるような選手ではなかったですね〉
大島氏はその後、法政大学に進んだ。世代的には桑田真澄・清原和博のKKコンビと同じで、法政大学ではのち阪神で投手として活躍する葛西稔がいた。1年次は守備固めだったが、2年生からレギュラーになり、二塁手としてベストナイン3回、1987年秋から1989年春までの法政大学4連覇に貢献。4年時には主将も務めた。しかし、それだけの経歴を持っていてもプロ入りの壁は高かった。
〈法政大学の竹内昭文監督には「プロに行きたい」とずっと伝えていたんです。でも声はかからなかった。それとうちの実家では野球界に進んだ人はいなかったし、親としてはやっぱり就職してほしかったみたいですね。その後、社会人の日本生命に進んだんですが、当時はまだバブルの最中でした。僕は野球をするために進んだんですが、親は金融業界に就職したみたいに思っていた部分もあって、あまり否定されなかったですね。ただ、この時点では半ば「プロはもう無理だろう」という気持ちもありました〉