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35年前「伝説の宝塚記念」を知っているか? タマモクロスと“マイルの帝王”が激突した名勝負の記憶「タマモ派の私は素人扱いだった」

posted2023/06/25 06:00

 
35年前「伝説の宝塚記念」を知っているか? タマモクロスと“マイルの帝王”が激突した名勝負の記憶「タマモ派の私は素人扱いだった」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1988年の宝塚記念。前年秋から連勝街道を驀進していたタマモクロスが、安田記念を制して参戦した本命ニッポーテイオーに完勝した

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Sankei Shimbun

 宝塚記念が、この時期に、この距離で行われることの意義と面白さを広く天下に知らしめた、これぞ「ザ・宝塚記念」と言うべき一戦があった。

 前走の安田記念を完勝してGI3勝目を挙げたニッポーテイオー(牡6歳、父リィフォー、美浦・久保田金造厩舎)と、6連勝で天皇賞・春を勝ってGI初制覇を遂げたタマモクロス(牡5歳、父シービークロス、栗東・小原伊佐美厩舎)が激突した、1988年6月12日の第29回宝塚記念である(馬齢は当時のもの)。

タマモクロスに魅了された36年前の記憶

 ニッポーテイオーも、タマモクロスも、筆者にとって非常に思い出深い馬だった。

 ニッポーテイオーは、その前年、1987年の天皇賞・秋を逃げ切り、GI初制覇を果たした。実は、そのレースは、私が初めて馬券を買ったレースだったのだ。当時、駆け出しの放送作家だった私は、ウメさんという職場の先輩に「競馬というのは100円が1万円になる遊びだよ」と教えられ、そんな美味しい遊びがあるのかと買ってみたのだが、さっぱり当たらなかった。私は、自分のなけなしの数千円を瞬時に失い、翌日の23歳の誕生日を暗い気持ちで過ごすことになったことがものすごく悔しく、どうしてニッポーテイオーが勝ったのか、私が買ったフレッシュボイス(6着)とダイナアクトレス(8着)がどうして負けたのかを、『競馬四季報』がボロボロになるまで読み込むなどして研究した。そうして気がついたら、世の中の営みで最も好きなものは競馬になっていた。

 私のビギナーズラックはじわりと訪れ、初めて馬券を買った翌月には、仕事をやめても馬券で生活できるのではないかと思うほど当たるようになっていた。

 その最初のヒットが、タマモクロスが2着を6馬身突き放して重賞初勝利を遂げた鳴尾記念だった。当時は単勝、複勝、枠連の3種類しか馬券はなかったのだが、私は5680円ついた枠連を獲った。同日に行われたウインターステークスの5540円ついた枠連も。記憶は曖昧だが、合わせた払戻しが10万円を超えていたことは間違いないので、1000円ずつ買っていたのだろう。

 私はタマモクロスのスマートな芦毛の馬体と、首の低い走法、そして、主戦騎手の南井克巳の、何度前が詰まっても諦めずに追いつづけ、最後に逆転して勝利をもぎ取る騎乗がたまらなく好きになっていた。さらに、タマモクロスの父で、現役時代「白い稲妻」と呼ばれたシービークロスも好きになり、その産駒も夢中になって応援した。

【次ページ】 多くの記者が「ニッポーテイオー派」だった

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