沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
35年前「伝説の宝塚記念」を知っているか? タマモクロスと“マイルの帝王”が激突した名勝負の記憶「タマモ派の私は素人扱いだった」
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph bySankei Shimbun
posted2023/06/25 06:00
1988年の宝塚記念。前年秋から連勝街道を驀進していたタマモクロスが、安田記念を制して参戦した本命ニッポーテイオーに完勝した
多くの記者が「ニッポーテイオー派」だった
タマモクロスは、鳴尾記念、翌1988年の金杯、阪神大賞典、そして天皇賞・春を連勝したことが示すように、能力の高さには凄まじいものがあったのだが、一戦ごとの消耗が激しく、レース後、カイバの食いが落ちて、馬体の維持に苦労することが多かった。当時、私は今のように厩舎取材をすることはできなかったので、ひとりのファンとして、遠くから「頼むから食べてくれ」と祈るしかなかった。
少しあとのことになるが、タマモクロスがこんなふうに馬体を減らしているのに、ライバルとなったオグリキャップは、いくら走ってもモリモリ食べる健康優良児で、その体質が羨ましいのを通り越して、しばしば恨めしく思ったものだ。タマモクロスは、強くても、判官贔屓の琴線に触れるところのある馬だった。
一方のニッポーテイオーは、前年の天皇賞・秋もマイルチャンピオンシップも5馬身差で圧勝。前走の安田記念は1馬身差ながら、危なげない勝利をおさめていた。ゆるぎない強さのある、馬名どおりの「帝王」だった。
2頭の初対決となった宝塚記念で単勝2.1倍の1番人気に支持されたのはニッポーテイオーだった。タマモクロスは3.0倍の2番人気。私は悔しくて仕方がなかった。当時私は「東京中日スポーツ」のレース課でアルバイトもしていたのだが、記者たちもだいたいニッポーテイオー派で、タマモ派の私は素人扱いだった。
腹が立ったが、若造は黙っているしかなかった。
今に見ていろ、と思った。ゲートが開けば、すべて明らかになる。
2頭のどちらが強いかを決める場として、これほどふさわしいレースはない。
安田記念を勝ったマイル王と、天皇賞・春を制した長距離王が、ともにほどよいレース間隔で、得意とする距離の間を取って戦うのだから。これが2400mだったら長距離寄りだし、2000mだったらマイル寄りなので、やはり2200mがジャストだ。