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羽生善治が負けると女性ファンが泣いた…小学生からも大人気「ねえ、公文の人でしょ?」27年前“羽生七冠ブーム”はどんな社会現象だった? 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2023/06/09 17:29

羽生善治が負けると女性ファンが泣いた…小学生からも大人気「ねえ、公文の人でしょ?」27年前“羽生七冠ブーム”はどんな社会現象だった?<Number Web> photograph by KYODO

1996年2月14日、史上初の七冠独占。感想戦で対局を振り返る羽生善治(当時25歳)

 羽生にとっては、こうした地方でのイベントも、CM出演も、将棋人口が増えることを願っての普及活動の一環であった。富山でのイベントはハードスケジュールをぬっての参加とあって、『将棋世界』の編集長だった大崎善生は、《普及に対する思い入れがなければとてもできることじゃありません》と賞賛した(『週刊読売』1994年10月23日号)。

 このほかにも羽生は対局から離れての仕事も多かった。七冠制覇前後にも、雑誌などに登場してはインタビューに応じたり、異分野で活躍する人々ともあいついで対談している。そこで羽生は自分の考えを理路整然と、ときにはユーモアも交えつつ語っていて、とても20代とは思えない。七冠を目指している最中には、人気作家やミュージシャンが毎号誌面を飾った若者向けカルチャー誌『月刊カドカワ』で、スポーツやゲームについてつづったコラムも連載している。

「将棋以外でも超一流になっていたのでは?」

 著書も当時からあいついで刊行し、さまざまな将棋の戦術を紹介した『羽生の頭脳』全10巻のほか、七冠達成の前後には、翻訳家の柳瀬尚紀との『対局する言葉』(毎日コミュニケーションズ、1995年)、詩人の吉増剛造との『盤上の海、詩の宇宙』(河出書房新社、1997年)といった、異色の組み合わせによる共著もある。柳瀬は翻訳不可能といわれていたアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの長編小説『フィネガンズ・ウェイク』を初めて全編日本語に訳した人物である。吉増は日本の現代詩を代表する詩人で、柳瀬が、羽生善治という天才の感性と対談するにもっともふさわしい感性であると指名し、NHKのテレビ番組と同時進行で共著が実現した。いずれの本でも、語られるテーマは文学や現代美術など多岐におよび、羽生の旺盛な好奇心に気づかされる。こうした好奇心こそ彼の原動力でもあったはずだ。

 羽生は将棋界のスターの域を超えた知的シンボルであると同時に、タレント的な資質も持ち合わせていた。前出の公文のCMの別バージョンで羽生と共演した先輩棋士の田中寅彦は、その撮影時、羽生のセリフの飲み込みの早さに加え、現場の雰囲気にすぐに溶け込み、まるでプロのタレントのように違和感なく馴染んでいたことに驚いたという。そしてこの経験から、《羽生はどんな場面でも、その場の最適モードに自分を次々とスイッチし、こなしていく。未知の世界でさえ、あたかも数十年前からいたかのように。誠に不思議。彼はおそらく、将棋以外のどんな道に進んでも超一流になっていたのではないか》と書いた(『羽生善治 進化し続ける頭脳』小学館文庫、2002年)。

まるで野茂英雄やイチローのような空気

 もっとも、当の羽生は七冠達成直後の手記で、《二十五歳という年齢で将棋の頂点をきわめたのだから、他のジャンルにも挑戦してみてはどうかといわれること》もあるものの、同じ25歳の若者が一般社会で自然に学び、常識になっていることでも、子供のころから将棋一筋に生きてきた自分にはけっして常識ではないとして、《いまから、他のジャンルに手を出すのは、かなりのハンデ戦とならざるを得ないでしょう。〈羽生の頭脳〉と誉めて下さる方もいますが、あくまで将棋の世界でのことであって、それ以外では、私はごくごく普通なのです》と語っている(『週刊文春』1996年3月7日号)。

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