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羽生善治が負けると女性ファンが泣いた…小学生からも大人気「ねえ、公文の人でしょ?」27年前“羽生七冠ブーム”はどんな社会現象だった?
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byKYODO
posted2023/06/09 17:29
1996年2月14日、史上初の七冠独占。感想戦で対局を振り返る羽生善治(当時25歳)
しかし、その普通さこそ、それまでの棋士には見られなかったものであった。七冠達成直後の羽生と対談した作家の村上龍は、《羽生さんが出てきて、「将棋が好きで、あとは普通」っていう人が出てきたんだなという感じがしたんです。/そういう人がすごく強いから、みんな戸惑ってしまう》と評した(『サンデー毎日』1996年3月3日号)。
羽生自身もこの当時、ことあるごとに、上の世代と自分たちの世代の棋士とのあいだにはあきらかに感覚的な違いがあると強調している。上の世代には、遊びも芸のこやしであり、そのなかで修羅場をくぐることが将棋の技術や精神の鍛錬につながるといった考え方があったのに対し、自分たちの世代は、普段の生活と将棋とを割り切っているというのだ。
こうした世代間の感覚の違いは、将棋にかぎらず、芸能やプロスポーツなど、当時さまざまなジャンルで顕在化しつつあった。プロ野球でも、昭和の選手たちがどこかアウトローな雰囲気を漂わせていたのに対し、羽生と同時期に頭角を現した野茂英雄やイチローにはそうしたところは一切なかった。
そんな若い世代のなかでも、羽生の割り切り方はきわだっていた。浮ついたり気負ったりせず、私生活でどんなことがあってもそれを勝負に持ちこまない。そうやって普通さを貫くことが、逆に羽生を非凡な存在にさせたともいえるかもしれない。七冠に再挑戦していたさなか、もっとも苦しかったはずの時期に婚約を発表したのも、そんな“非凡なまでの普通さ”のなせるわざだったのだろう。
最後に、当時世間をあっと驚かせた羽生と朝ドラヒロインとの婚約・結婚を振り返りたい。
<続く>