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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「王様ペレの生家周辺が“ペレを愛しすぎ公務員”ほぼ1人の力で…」構想30年“ペレ尽くしの町”にビックリしたので写真を撮ってみた
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byFernand Ortiz
posted2023/06/05 11:01
2012年、「カーザ・ペレ」のオープンに出席したペレ(フェルナンド・オルチス提供)。史跡化された町がスゴかった
また、ペレの父ドンジーニョが1938年から1943年までアトレチコ・トレス・コラソンエスの一員としてこのスタジアムでプレーしており、1971年、ペレもここで行なわれたアトレチコ対サントスの親善試合に両チームで45分ずつプレーしたという。
さらに、私が訪れたばかりの「カーザ・ペレ」を建設することを30年前に構想し、19年の歳月をかけて実現したのだ、と語る。
どうやら、この町をペレ一色に染めた一大功労者らしい。このときは昼前で、午後は市の中心部にある「ペレの生誕地ミュージアム」に詰めているということだったので、後で話を聞く約束をして別れた。
キリストの父母が崇められるのと同じくペレも…
しばらくスタジアムで若手選手たちの練習を眺めてから、市の北西の工業団地の入口にある「ソッコ・ノ・アール」(空中を拳で叩く)というモニュメントを訪れた。
これは、ペレがゴールを決めた際にいつもやっていた、空中に右手を強く振り上げるポーズの像だった。本当は高々とジャンプするのだが、市のシンボルである3つの赤いハートマークが緑の台座の上に並んでおり、そのうちの一つを跨いだ格好となっている。2008年の建造で、像の高さは12m84cm。これは、ペレの生涯通算得点数とされる1284にちなんでいるそうだ。
一方、市の東南部のドンジーニョ公園(ペレの父親の名前だ)には、「パイ・エ・フィーリョ」(父と子)と呼ばれるモニュメントがある。
2012年に建設され、高さは約5m。背広姿のドンジーニョが、ユニフォーム姿の少年ペレの肩に手をまわしている。ペレは、右足でボールを踏んでいる。このモニュメントのすぐ横に市営体育館があり、「ペレゾン」(大きなペレ)と名付けられている。
キリスト教でイエス・キリストのみならず母マリアと父ヨセフも聖人として崇められているのと同じように、ペレの母セレステと父ドンジーニョも偉大な選手の両親として敬愛されているのだった。
市議会に働きかけて「ペレ広場」と改称
それから、市の中心地へ向かった。ここには「ペレ広場」があり、ジュール・リメ杯(1970年W杯の優勝カップ)を両手で掲げるペレの等身大の銅像が建っている。
「モヌメント・ド・トリ」(W杯3回優勝のモニュメント)と呼ばれており、1971年に建てられた。銅像の下の周囲の部分に、1958年大会、1962年大会、1970年大会のレギュラー選手の名前が刻まれている。