- #1
- #2
熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「不法侵入者が住み着いていた」ペレの生家を観光地化…“スゴ腕ブラジル人公務員”のカオス経験談「悪夢から16年かかって…」
posted2023/06/05 11:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Fernand Ortis
「カーザ・ペレ」(ペレの生家)は、2012年9月23日、ブラジル南部トレス・コラソンエスの128度目の市制記念日にオープンした。
ペレ本人も、オープニング・セレモニーに出席した。このとき、ペレと並んで家のプレートの除幕式を行ない、感極まったペレから熱い抱擁を受けた男がいる。
フェルナンド・オルチス。トレス・コラソンエス生まれで、元は造形作家だった。長くサンパウロ、リオなどの都会で地方自治体のクリスマスやカーニバルなどの飾り付けをする仕事に携わった後、1991年に故郷へ戻った。当時の市長に請われ、1993年、市の文化観光省で働き始めた。現在は、省長を務めている。
敷地には不法侵入者が小屋を建てて住みついていた
――いつ、どのような経緯でペレの生家の復元を思い立ったのですか?
「1993年のある日、ペレの『モヌメント・ド・トリ』(ペレ広場に建つ「ブラジルのワールドカップ3回優勝のモニュメント」)が暴漢によって破壊される夢を見た。ショックだった。この悪夢のことを兄に打ち明けたら、『何かを壊されるのを心配する代わりに、新しく何かを造ったらどうだ』と言われた。
何を造ればいいかと考えていたら、『ペレのミュージアムや展示はブラジル各地にある。この町にしかできないことは何か』と考えた。そして、『ペレはここで生まれたのだから、彼の生家を世界中のファンに公開したらどうか』と思いついた」
――当時、ペレが生まれた家とその敷地はどうなっていたのですか?
「ペレの母方の祖父母が亡くなってから、家は取り壊され、敷地には不法侵入者が小屋を建てて住みついていた(注:南米では、使用されていない土地に他人が侵入して住みつく事例が少なくない。その場合、不法侵入者であっても一定期間以上住んでいれば居住権が認められることがある)。非常に複雑な状況だった」
ペレの名前を利用して人気取りをしようという政治家も
――そもそも、あなたはペレの熱心なファンだったのですか?
「実はそうじゃない。フットボールが特に好きなわけではなかったし、ペレの熱心なファンでもなかった。でも、この町には深い愛情を抱いており、だからこそ都会での生活を捨てて戻ってきた。『ペレという世界フットボール史上最高の選手を生んだこの町のことを、世界中の人に知ってもらいたい。そして、ブラジルとこの町のために尽くしてくれたペレの努力に報いたい』という気持ちだった」
――当時、土地の権利はどうなっていたのですか?