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「王様ペレの生家周辺が“ペレを愛しすぎ公務員”ほぼ1人の力で…」構想30年“ペレ尽くしの町”にビックリしたので写真を撮ってみた 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byFernand Ortiz

posted2023/06/05 11:01

「王様ペレの生家周辺が“ペレを愛しすぎ公務員”ほぼ1人の力で…」構想30年“ペレ尽くしの町”にビックリしたので写真を撮ってみた<Number Web> photograph by Fernand Ortiz

2012年、「カーザ・ペレ」のオープンに出席したペレ(フェルナンド・オルチス提供)。史跡化された町がスゴかった

 入口を入ると細長い居間があり、大きな食卓が置かれている。左側にまずペレの祖父母の寝室、続いてペレの両親の寝室があり、その隅に木製のベビーベッドが置かれている。ペレは、このベッド(ただし、本物ではなく複製)で寝ていたのだ。他に、2つの寝室がある。

 家の奥に薪で火を起こす当時の台所があり、庭にペレの祖父が仕事で使った木製の荷車(これは本物)が置いてあり、ジャボチカバというブドウに似た実が生る樹木がある(注:元々は直立していたが、今年、雷が落ちて横倒しになった)。この木も本物で、幼いペレはこの実が大好物だったそうだ。

食器や家具など、当時のものを集めたそう

 樹木の手前に、ペレを身籠ったセレステさんが大きなお腹を抱えて座っている像がある。

 ペレが生まれたのは1940年で、この家には1944年まで住んでいた。復元されたということだが、まるで当時の家のように見える。家具、食器などの調度品も、当時のものを集めたり、復元したりしたそうだ。

 オリジナルではないとはいえ、ペレがこの場所で生まれて3歳まで育ったのは事実だ。

「カーザ・ペレ」を出て、右手にある坂道を下った。幼児の頃はともかく、その後もペレはこの一帯を何度も訪れている。「キングがこの通りを何度も歩いたのだ」と考えると、感慨深いものがあった。しばらく歩くと十字路があり、そのさらに先にこぢんまりした市営スタジアムがあった。

 スタジアムの正面に「市営キング・ペレ・スタジアム」というプレートが掛かっていて、外壁に地元のアトレチコ・トレス・コラソンエス(現在、州リーグ2部)のクラブのエンブレムが描かれていた。スタジアムの扉が開いていて、若手選手が練習をしていた。

30年前に「ペレの町」を作ろうとしたキーパーソンが

 クラブ関係者らしい人がいたので、クラブやスタジアムのことを聞いていたら、自転車に乗って横を通りかかった長身の男性が代わりに答えてくれた。

 市の文化観光省の責任者だそうで、フェルナンド・オルチスと名乗った。

 1913年に建設された収容人員3500人のスタジアムで、元々はクラブの元会長の名前が付いていたが、「ペレが生まれた町のスタジアムに彼の名前が付いていないのはおかしい」と考え、市議会に呼びかけて今年4月に改称したばかりだという。

【次ページ】 キリストの父母が崇められるのと同じくペレも…

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