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「王様ペレの生家周辺が“ペレを愛しすぎ公務員”ほぼ1人の力で…」構想30年“ペレ尽くしの町”にビックリしたので写真を撮ってみた

posted2023/06/05 11:01

 
「王様ペレの生家周辺が“ペレを愛しすぎ公務員”ほぼ1人の力で…」構想30年“ペレ尽くしの町”にビックリしたので写真を撮ってみた<Number Web> photograph by Fernand Ortiz

2012年、「カーザ・ペレ」のオープンに出席したペレ(フェルナンド・オルチス提供)。史跡化された町がスゴかった

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Fernand Ortiz

「私には、心臓が三つある。だから、スタミナが無尽蔵なんだ」

 生前のキングの、定番のジョーク。これを聞いた者は、たとえそれが何十回目であろうと、にこやかな笑みを浮かべたものだ。

 ブラジル南部ミナス・ジェライス州の南部に、トレス・コラソンエスという人口8万人足らずの町がある。「三つの心臓」を意味し、町のシンボルマークは3つのハートだ。

 主な産業は、農業と牧畜。一見するとブラジルのどこにでもあるような田舎町だが、キング・ペレの生誕地として国内ではつとに有名だ。

ペレの名前が付いた大通りはブラジル各地にある

 彼がこの町に住んでいたのは3歳までだが、「カーザ・ペレ」(ペレの生家)があり、偉業を称えるミュージアム、彼の名を冠したスタジアム、体育館、広場、通り、そして数々のモニュメントがあり、ペレ尽くしの町と聞いていた。

 昨年12月29日に82歳でこの世を去ったレジェンド中のレジェンドのルーツを探ろうと、5月のある日、この町を訪れた。

 ペレの名前が付いた大通りや通りはブラジル各地にあり、サントス市内にある彼のミュージアムは充実した展示を誇る。サントスFCのミュージアム、サンパウロ市営パカエンブー・スタジアム内のミュージアムにも、ペレに関する展示がふんだんにある。

 トレス・コラソンエスのペレ・コレクションの中で最大の売り物は「カーザ・ペレ」だろう。ただし、オリジナルではなく、後になって復元されたものだ。

 市の中心部からほど近い場所にあり、住所は「エジソン・ナシメント・デ・アランテス1000番」。ペレのフルネームで、「1000」は彼の1000得点にちなむ。ペレが1958年と1962年のワールドカップ(W杯)で優勝して世界的な名声を獲得した後の1966年、市議会が通りの名前を変更していた。

復元なったペレの生家の間取りを見てみると…

「カーザ・ペレ」は、2012年に開館。当時72歳だったペレ本人が、オープニング・セレモニーに出席した。

 敷地は約1392平方メートルで、敷地面積が96平方メートルだ。

 元々はペレの母セレステさんの両親(つまりペレの母方の祖父母)の家で、ペレの父ドンジーニョさんとセレステさんが結婚してこの家に同居し、1940年10月23日、ペレがこの家で生まれた。

【次ページ】 食器や家具など、当時のものを集めたそう

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