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ハーツクライはなぜディープインパクトに勝てたのか? ルメールが明かす、伏線となった“プチギレ”「レースの後にはちょっと怒りも覚えました。話が違うって(笑)」
text by
石田敏徳Toshinori Ishida
photograph bySankei Shimbun
posted2023/06/04 17:00
ディープインパクト(左)の猛追をおさえて2005年有馬記念を勝利したハーツクライ。JRAのレースでは最初で最後の「ディープに勝った競走馬」となった
「ディープインパクトに勝てると思いますと言ったら、『おお~』ってどよめかれました。クレイジー・フレンチ・ボーイと思われたみたい(笑)」
その一方、「好位につけたい」というコメントはほとんどスルーされた。当時の新聞をいくつか読み返してみるとコメント自体は載っているものの、特にそれがクローズアップされた形跡はない。無理もなかった。みんな、先行策などとれるはずがないと思い込んでいたのだ。しかし天皇賞、ジャパンCの騎乗を通じて「それほどキレる脚を使う馬ではなく、むしろワンペースなタイプ」との感触を掴んだ男は今度こそ、ハーツクライの本領をフルに発揮させるつもりでいた。
そしていよいよ、レースの幕が開く。
ハーツクライが何と3番手に上がっていきました!
呼吸を合わせ、互角のスタートを切った馬にルメールが軽く気合をつける。従順に反応したハーツクライがややピッチを速めたのに対し、他の好位勢は抑え気味に進んだ結果、彼らは先行争いを繰り広げるタップダンスシチーとオースミハルカから少し離れた3番手の位置に収まった。
「ハーツクライ、ハーツクライが何と3番手に上がっていきました!」
驚きを隠せない声色の場内実況のアナウンスにターフビジョンの映像が重なり、観衆も大きくどよめく。
調教師席の橋口も驚いた。ルメールがこれまでとは違う戦法を意識していること、ある程度、前につけることは織り込み済みだったが、まさか3番手までとは思わなかったからだ。しかしハーツクライは不慣れな先行策にも戸惑わず、見るからにいいリズムで目の前を快走していく。その馬上でルメールはこんなことを感じていた。
ディープインパクトが1馬身半差で迫る
「前に2頭しかいないことに最初は馬が驚き、やがて自信に感じたようでした。いつもは最後に十何頭、かわさなければならないのに、今日はこれだけでいいんだと。ドバイ(逃げ切り勝ちを収めた翌年のドバイシーマクラシック)のときもそうでしたが、先行しているのが嬉しそうで、自信に満ち溢れた走りでした」
主導権争いを制し、単騎逃げの形に持ち込んだタップダンスシチーの佐藤哲三騎手は1コーナー付近のスローダウンを挟み、残り1400m地点から早くもペースを上げる。深追いはせず、向正面では少しポジションを下げたルメールは、3コーナー過ぎから徐々に前との差を詰めにかかった。しかし4コーナー。中団につけて戦況を窺っていた武豊騎手のディープインパクトがスルスルと背後に忍び寄る。
(ああ、ここまでか……)
橋口は半ば観念した。直線に向いた時点でディープインパクトとの差は1馬身半ほど。それではとても“足りない”ように思えた。いつかわされるか、いつかわされるか。彼は身構えるような気持ちでレースの行方を見守る。一方のルメールは4コーナーのディープインパクトの“接近”には気付いていなかったという。
「レース中は他の馬の動きはあまり気になりませんでした。直線だけ、外に馬がいないかをチェックしたぐらいですね」
ハーツクライに負けたのも恥じるべきことではない
それぐらい、いい形でレースの流れに乗れている感覚が彼にはあった。手応えも十分に残っている。あとはこのまま──。