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「子どもが風邪をひいたらどうするの?」元Jリーガーが語る、中国での育成の難しさ…オシムチルドレンはなぜ中国でサッカーを教えるのか?
text by
島沢優子Yuko Shimazawa
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/05/24 11:25
2003年中京大卒業後、ジェフに加入した楽山孝志。3年半、イビチャ・オシムの指導を受けた。現役引退後、中国で育成指導者になった
2010年南アフリカ大会で2度目の16強入りをし、W杯に出場し続ける日本サッカーに対するリスペクトが楽山にひしひしと伝わった。中国は開催国の日本と韓国がシードだったW杯2002年日韓大会に初出場して以来、低迷していた。
「中国でサッカースクールを始めようと腹を決めました。中国のような大国が強くなればアジアのサッカーのレベルもアップする。その手伝いが自分にできるかもしれないと思いました」
最初に集まった子どもは10人。全員が日本人だった。サッカーコートもなかなか借りることができず苦労した。中でも心を砕いたのが保護者からの信頼を得ることだった。スクールを始めて最初に雨が降った際「練習はやりますよ」と伝えたら「子どもが風邪でもひいたらどうしてくれるのだ!」とクレームの嵐だった。
「サッカーを観たことがありますか? サッカーは雨でもやるんです。試合は中止にならないから、当然練習もやります」と説明した。メディアの取材も積極的に受け、中国の育成現場の課題を率直に話した。
「甘やかされた子どもたち」の問題
楽山はそれ以前に、公園でこんな光景を目にしていた。小学校低学年の子どもが祖母に付き添われてやってくるやいなや、祖母をしゃがませ、その膝の上にシューズを履いたままの足をおもむろに置いた。ほどけた靴紐を結ばせるためだった。
一人っ子政策が長く続いたことで、保護者がわが子に干渉する傾向があった。溺愛された一人っ子たちは、男子が「小皇帝(しょうこうてい=シャオ・ホァンディ)」、女子は「小皇后(しょうこうごう=シャオ・ホァンホウ)」または「小公主(しょうこうしゅ=シャオ・ゴンジュー)」と呼ばれた。「甘やかされた子」の代名詞だ。中国社会の発展に深刻な影響を与える社会的問題のひとつとしてメディアに取り上げられた。
したがって、プロの選手たちも協調性やコミュニケーション能力に欠けるところがあった。楽山の目からも、そこは中国サッカーの課題に思えた。
「これはよくないなと思いました。日本人初のサッカー塾がスタートしたと書いてくれた新聞記者が、何度もインタビューを載せてくれた。そのような子育てを変えましょうと訴えました。そういう記事のおかげかわかりませんが、会員がどんどん増えました」
そういった方針に反発して辞める人もいたが、2015年からスタートした「サッカー改革」が後押ししてくれた。熱烈なサッカーファンである習近平の命で「中国足球改革発展総体規劃(中国サッカーの改革と発展のための計画)」が実施され、国内に指導者やサッカーピッチが倍増。W杯へ自力出場するために巨額の強化費が投じられた。サッカースクールはひとつの習い事コンテンツとして発展。現在はスペインやイングランドなど欧州各国の企業が開いている。
楽山のサッカー塾も今では業務提携している幼稚園を合わせ4カ所で展開。13歳以下の子どもたち300人を抱える。深圳でも大きなスクールのひとつだ。
忘れられない「オシムの言葉」
現役引退を決めたころ、他の日本人選手の多くが中国を去っていた。不安はあったが、頭にあったのは「出会った指導者の中で一番影響を受けた」と語るオシムの言葉だった。