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「子どもが風邪をひいたらどうするの?」元Jリーガーが語る、中国での育成の難しさ…オシムチルドレンはなぜ中国でサッカーを教えるのか?
text by
島沢優子Yuko Shimazawa
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/05/24 11:25
2003年中京大卒業後、ジェフに加入した楽山孝志。3年半、イビチャ・オシムの指導を受けた。現役引退後、中国で育成指導者になった
「誰かがリスクを冒さないと、ゴールは生まれない」
拙書『オシムの遺産 彼らに授けたもうひとつの言葉』(竹書房)の第2章でも、羽生直剛が授かった言葉として挙げている。楽山によると、実は中国にも「リスクを取らないのが一番のリスク」という言葉があるそうだ。
「リスクを冒さないと成功はないぞ。人生も同じだとオシムさんはおっしゃっていた。僕は子どものころから『みんなと同じ』っていうのが嫌だったので(オシムと)波長が合ったのかもしれません。ナンバーワンよりもオンリーワンでいたい」
ジェフでプレーし続けたことも、ある種リスクだった。
大卒で入ったものの、なかなかレギュラーになれなかった。同世代の巻誠一郎、羽生直剛ら大卒選手が先発で活躍する姿を目の当たりにしながら、悔しかった。ポジションは本来トップ下だが、ボランチやウイングバックを命じられた。
「オシムさんが目指すサッカーは“走れる”選手が最低基準で、その次に技術的なこと。自分は特別に“走れる”タイプの選手ではなかった」
「オシムさんが僕だったら、何をしますか?」
入団3年目を迎えたある日「僕は、なぜ試合に出られないんでしょうか?」とオシムに聞きに行った。
「もしオシムさんが僕だったら、この状況で何をしますか?」
オシムは少し考えを巡らせた後に「選手である以上、試合に出られる場所に行くべきだ」と断言した。「申し訳ないが」などという前置きもない。表情ひとつ変えなかった。
「ただし、ラク(楽山)は1人で、2人、3人とかわせるし、崩せる。必ず数的優位を作れる唯一のスキルを持ってる選手のひとりだ」
当時ジェフのGMだった祖母井秀隆は、当時のことをよく憶えている。
「いくつかのチームからレンタル移籍の話があった時、僕もオシムさん同様、他のチームに移ったほうが絶対に出られるチャンスはあると伝えました。でも、彼はジェフを離れなかった。すごく自分を持っていた。先発では出られなかったけれど、彼は間違いなくチームに必要な選手でした」
中国で伝える“オシムの教え”
ジェフを離れられないというよりも、オシムから離れたくなかった。楽山は「いや、僕、移籍はしません。使ってもらえなくても、オシムさんがいる限りはここにいます」と伝えた。試合に出られる可能性の低いジェフに残ることを選んだのだ。