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今明かされるファイターズ新球場決定の”運命の日” 日本ハム取締役会は揺れた!「札幌と北広島、劣っている部分はどこか?」敵なのか、味方なのか…
posted2023/05/25 17:01
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Kiichi Matsumoto
ベストセラー『嫌われた監督』の作家・鈴木忠平氏が描いた『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介します。【全2回の後編/前編へ】
◆◆◆
ーー午前8時半 東京
取締役会が行われるホテルの会議室には、季節に合わせたかのような花の名がつけられていた。窓の外は朝陽に輝いていた。ただ、室内は春の穏やかさとは裏腹な重苦しい空気に包まれていた。長テーブルにはスーツ姿の男たちが顔を揃えていた。日本ハム臨時取締役会。その最初の議題がファイターズのボールパーク建設候補地決定であった。
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取締役9名、監査役5名、ファイターズ球団から3名、計17名の出席者の中に大社啓二がいた。取締役専務としての出席だった。大社はぐるりと並んだ椅子の一つから部屋全体を俯瞰していた。取締役たちの厳しい顔や、その手元に置かれた資料、前沢と三谷の強張った表情など目に見えるものだけでなく、部屋の空気そのものを見渡していた。肩書きがどうあれ、場がどこであれ、大社は空を舞う鳥のような視点でものを見ることを習慣づけていた。それは養父であり、日本ハム創業者である大社義規の影響だったかもしれない。徳島で食肉加工工場を起こし、一代で日本最大の食肉メーカーを築き上げた父は大社の目から見れば“働かない人”だった。動かない人と言った方が良いかもしれない。自分が動きまわるのではなく、人を動かした。
「政治でもビジネスでも、責任者の席がなぜ他の者より高いところにあるか分かるか?」
父はよく大社にそう問うた。
「遠くを見るためだ。トップは小さなゴミを見つけて拾うためにいるのではない。大局観を持つためにいるんだ。トップが下を見たら、その下の者はさらに下を向く。その下の者は何もしなくなる」
だから日本ハムに入社し、代表取締役社長を務める中、大社の視線も常に大局に向けられてきた。ボールパーク計画についても自分の役割は直接に関わることではなく、広く遠くまで見渡すことだと考えていた。