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今明かされるファイターズ新球場決定の”運命の日” 日本ハム取締役会は揺れた!「札幌と北広島、劣っている部分はどこか?」敵なのか、味方なのか…
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/05/25 17:01
2023年から日本ハムファイターズの本拠地となった「エスコンフィールドHOKKAIDO」
札幌市の年度財源が1兆円規模であるのに対して北広島市は約250億円であり、財政基盤や自治体そのものの評価では札幌市が上まわっていること、一方で自治体の協力体制という面では逆に北広島が札幌を上まわっていることなどを硬い口調で説明した。
足下の薄氷を叩くような2人の応酬を他の役員たちがじっと見守っていた。ベースボール事業にグループ史上最大の投資をするべきか否かを見極めようとしていた。
「球団を持っていなかったら、他の会社と同じハム屋だ」
張りつめた空気の中、大社の胸にはひとつの感慨が押し寄せていた。長年、日本ハムの本社内ではベースボール事業は創業家の領域であると考えられてきた。1973年に日拓ホームフライヤーズを買収した当初から、野球愛好家である創業者の道楽と捉えている社員も少なくなかった。本体や本業とは切り離して考えられてきた。それが大社には疑問だった。代表取締役社長だった当時、社員たちにこう言ったことがあった。
「もし球団を持っていなかったら、うちは他の会社と同じように肉屋であり、ハム屋だ。うちが他の企業と違うのは球団を持っているからなんだ」
大社は父の晩年、残された時間をともに過ごすため兵庫県の芦屋に邸宅を建てた。父は神戸港と大阪湾が見渡せる三角屋根の部屋が好きだった。その窓からよく外を眺めてい た。広く遠く世界を見通すような視線だった。
大社はずっと考えてきた。父がファイターズを持ったのはなぜか。この球団の未来に何を見ていたのか。その答えを今、本社の取締役と球団の職員とがともに考えている。そこに感慨を覚えたのだ。
三谷仁志は揺れる天秤の上にいた。現実には会議室の絨毯の上に立っているのだが、それほど心は不安定に行ったり来たりしていた。目の前で繰り広げられているのはボールパーク建設地を決定する会議だった。ファイターズとしての結論を出し、それに関する資料も提出した。この日のために自治体との協議を2年間続けてきた。本社に幾度となく足を運び、取締役たちへの説明と根回しもしてきた。あとは了承を得るだけのはずだった。
本当にその場所で大丈夫なのか?
ただ、運命の日を迎えてみると、足下の氷はこんなに薄かったのかと思わずにいられなかった。