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あのベーブ・ルース“日本での伝説”「予告ホームランで場外の建物を壊した」「雨でも傘を片手にプレー」日本野球が米国に全然勝てなかったころ
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byGetty Images
posted2023/04/12 11:03
1934年の日米野球で来日していたベーブ・ルース。豪快な予告ホームランを放つなど、数々の伝説を残している
この時期からは、同じく北九州エリアの強豪だった八幡製鉄野球部と門司鉄道管理局野球部の定期戦“製門戦”の舞台にもなり、北九州・小倉の人々はしばしば到津球場に通って野球観戦を楽しんだという。小倉工業など当時の中等野球の名門も広いグラウンドを擁する到津球場で練習するなど、まさにこの地域一帯の野球熱を支えたスタジアムだった、というわけだ。日米野球の開催地に選ばれたのも、とうぜんのなりゆきといっていい。日米野球の2年後、本格的にプロ野球が発足すると、この地で巨人軍と大連軍(当時の社会人野球における強豪)などとの対抗戦も行われ、翌年以降たびたびオープン戦も開催されている。
しかし、戦争がはじまって野球どころではないというムードになると、到津球場の役目は終わる。正確な時期はわからないが、戦時中には取り壊されてしまい、跡には国鉄の官舎が建てられた。そのまま戦後も球場が復活することはなく、官舎は国鉄からJR九州へ。それも壊されて、アクロスプラザいとうづができたのは2012年のことだ。
到津球場の跡地周辺を歩いていても、そこにかつてベーブ・ルースがプレーした球場があったと感じられることはほとんどない。交差点の碑も、気がつかずに通りすぎてもおかしくないくらいなものだ。が、そんなところでベーブ・ルースがホームランを打ち、九州の野球熱を支えた野球場があったことは、記憶に留めておきたいものである。
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