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あのベーブ・ルース“日本での伝説”「予告ホームランで場外の建物を壊した」「雨でも傘を片手にプレー」日本野球が米国に全然勝てなかったころ
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byGetty Images
posted2023/04/12 11:03
1934年の日米野球で来日していたベーブ・ルース。豪快な予告ホームランを放つなど、数々の伝説を残している
そこから到津球場に向かっては、駅の北側を通っている国道3号をまっすぐ西に歩いて行けばよい。クルマ通りのめちゃくちゃ多い大通り。周囲は繁華街というよりは大きなマンションや学校があったりして、住宅地というのがこの町の本質なのだろう……などと思いながら歩くこと15分。国道3号は板櫃川という小さな川を跨ぐ。その向こうの大きな交差点の角に、紳士服はるやまの大きな看板が建つ。その足元に……小さな碑があった。「小倉到津球場跡」と刻まれている。そう、このはるやまが、かつての小倉到津球場なのである。
実際には、広大な野球場の跡地ははるやまだけで済むほどの広さではない。跡地全体を見渡すとアクロスプラザいとうづという商業施設になっている。すぐ裏手の山には到津の森公園という、簡単に言えば遊園地。市街地には変わらずひたすら住宅地が広がっていて、国道3号やそれと球場跡地で交差している大通りともども、ロードサイド系の店舗が建ち並ぶ……という、何の変哲もない都市近郊の風景の中。そこに、かつてベーブ・ルースもプレーした到津球場が建っていたのである。
「雨でも傘を片手にプレーした」ベーブ・ルース
およそ90年前、到津球場での日米野球はどのような試合だったのだろうか。
その日は11月26日。前日から大雨が止むことなく降り続き、中止も検討されるほどにグラウンドも水浸しになっていたという。が、試合開始数時間前から球場には観客が押し寄せて、到津球場は正午前には1万5000人で埋め尽くされた。1930年代というと、すでに日米関係はかなり暗い雲で覆われていた時代だが、野球好きの日本人にとってはそんなことは関係なかったのだろう。百貨店や駅には歓迎の垂れ幕が登場し、ベーブ・ルースの博多人形まで作られたというからなかなかの盛り上がり。アメリカのスーパースターをひと目見ようと、九州の野球ファンが小倉到津球場に殺到したのである。