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「ヒザ手術後は自分の足じゃない感覚。この足、誰の足?って」高3で絶望した女性スイマーが五輪出場を果たすまで〈寺村美穂さんに聞く〉
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2023/04/09 11:02
寺村美穂さん。ケガとの戦いを経て2度の五輪にたどり着いた
「初めて膝に違和感を覚えたのは小学校6年生の時でした。その頃から両親に状態を話すなどしていましたが、身体や膝の構造についての知識については詳しくなかったんです。それこそまずは地元の接骨院などに行ってみて、診察を受けて湿布を貼ってもらったという。なので、そのころに校庭や公園で遊んでいる写真を見ると、ほぼ右膝に湿布が貼ってあるんです(笑)。
小学生の頃までは違和感で済んでいたのですが、症状が酷くなってきたのは中学生の頃で、その頃には走ると痛む状態になっていました。学校でスポーツテストなどありましたよね? その際のシャトルランなども、膝の状態を考えると走らない選択をせざるを得ませんでした。そして2年生の時に、練習ができないくらいのレベルで痛くなったんです」
ロンドン五輪出場がかなわず、手術を決断した
――具体的な症状は?
「簡単に言うと、私の平泳ぎは『キックが反りすぎる』特徴があり、膝周辺の筋肉の柔らかさが原因となっていたんです。もちろん柔らかさはいいことでもあるんですが、泳いでいて真っ直ぐではなく反対方向に反ってしまうことで、膝前の方向に負担がかかっていってしまったんです。そこから少しずつ、自分でも“膝のどこの部分が悪いのか”など考えるようになりました。両親が症状について調べてくれたり、コーチと、セントラルスポーツのトレーナーさんとも話し合いながら症状を診てもらい、練習前に負担がかからないようにできる補強運動を組んでくださいました。そこで水中に入る前のトレーニングが大事だなと知ることができましたし、自分自身、知識がない状態だったのに周りが環境を整えてくれたことは印象に残っています」
――そうやって若くしてケガと向き合ってきた寺村さんですが、膝の手術を高校生にして経験することになりました。どのような経緯だったのでしょうか。
「まず私の中で2012年のロンドン五輪を目指すという目標の中でやっていました。選考会で2位に入ったんですが、派遣標準記録を切れずに五輪出場はかなわなかったんです。そこで感じたのは、五輪に行けない悔しさとともに『自分は本当に行きたいと思っていたんだろうか』というものでした。『じゃあ次の4年間、本当に五輪に行くためには何をすればいいのか』と考えた時、一番最初に“膝をどうするのか”となった。そこで手術して、トレーニングをしていくのがベストの選択だと決断したんです」
高校3年生の1年間を棒に振ることが決まるツラさ
――手術の決断に至るまでは揺れ動いたんじゃないですか?