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私は競泳日本選手権で“ゾーン的感覚”を味わった…「ラスト25mで我に返って“キツい!”って」「今見てもアホみたいに突っ込んでるなと」

posted2023/04/09 11:03

 
私は競泳日本選手権で“ゾーン的感覚”を味わった…「ラスト25mで我に返って“キツい!”って」「今見てもアホみたいに突っ込んでるなと」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

リオ五輪選考会で優勝し、笑みを浮かべる寺村美穂さん(右)

text by

茂野聡士

茂野聡士Satoshi Shigeno

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JIJI PRESS

 今年7月に世界水泳が開催され、来年のパリ五輪への代表権争いも熱を帯びる日本競泳界。2021年まで現役生活を送った寺村美穂さん(28)が、NumberWebのインタビューで現役時代のケガとの戦い、競技中の驚くべき体験を語ってくれた(全3回の2回目/#3へ)

 アスリートにとって、ケガとの戦いはつきものである。リオデジャネイロ大会と東京大会の2度にわたって五輪出場を果たした寺村美穂さんは、中学校の頃から悩まされてきたヒザ痛もあって、2012年のロンドン五輪選考会後に手術することを決断した。その時点で高校3年生。もし練習に復帰したとしても4年後、ましてや8年後の未来が補償されていない中でどんな風にメンタルを保ったのか。本人が回想する。

ビート板に刻まれた叱咤激励のメッセージ

――ヒザの手術からプールでのトレーニングに復帰した直後、寺村さんは単調なトレーニングメニューをこなす状況だったと聞きましたが、何かメンタルを奮い立たせるような出来事はあったのでしょうか。

「アシスタントの人が、工夫してくれたんです。ビート板、ありますよね? そこに練習メニューの紙が貼ってあるんですけど、私に関しては叱咤激励するようなメッセージ性のある言葉を記してくださったんです。その言葉が私の中に響いて、“こんなので落ち込んでいるようなら、みんなの前に戻るどころか、もっと上の実力になれない”と闘争心をかき立てられて、そこからはもう無我夢中で泳いでいましたね。

 技術的な面で言えば、その時期に自分の課題にも向き合うことができたんです。もともと私は足が結構強い一方で、プルと呼ばれる腕の動作が弱かったんです。だから足が使えない分だけ、腕を強化するチャンスにするしかないねとコーチも言ってくれて。もう『腕だ! 腕を日本一にするぞ』という(笑)。しっかりと泳げるようになってからは、膝に不安を抱えていなかった小学生頃以来、ガムシャラに泳ぐ気持ちを取り戻せました」

スタート台に立った瞬間、微かに震え始めた

 2012年の年末年始あたりから本格的な練習をできるようになった寺村さん。もともとのベースが高かっただけに――本人は「ギリギリ入れた」と語るが――翌2013年の日本選手権、200m個人メドレー決勝で2位、派遣標準記録も記録して自身にとって初のシニア代表となる世界水泳バルセロナへの出場権を獲得した。2014年アジア大会では国際大会初となる銅メダルを獲得するなど、実績と自信を積み重ねていった。

 そして2016年、寺村さんはリオデジャネイロ五輪選考会である競泳日本選手権を迎える。本番に向けての準備が非常に整い、いいメンタルの状態でレースに臨めたようだ。しかし思わぬ出来事が本番直前に起こったという。

【次ページ】 ふと我に返った瞬間『体がキツい!』となったんです

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