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「ヒザ手術後は自分の足じゃない感覚。この足、誰の足?って」高3で絶望した女性スイマーが五輪出場を果たすまで〈寺村美穂さんに聞く〉
posted2023/04/09 11:02
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph by
Atsushi Hashimoto
競泳・日本選手権が開催され、7月には世界水泳が控えるなど、2024年のパリ五輪に向けてトビウオジャパンの競争が激しさを増している。その戦いに若くして挑み、挫折などを乗り越えたのが寺村美穂さんだ。
もともとは平泳ぎの選手だったがヒザのケガによって個人メドレーに転向。その経緯がありながらも、2度の五輪代表となり、競技を引退した現在は水泳の普及に努める彼女に、ケガとの戦い、1年延期になった東京五輪、そして日本選手権で味わった“ゾーン的感覚”などを幅広く聞いた。
5歳時点でジュニア五輪は意識していた
――まず水泳と出会ったルーツについておうかがいしたいのですが、寺村さんが泳ぎ始めた頃はいつだったのでしょうか?
「泳ぎ始めたのは3歳の頃で、そこから5歳くらいには全種目泳げるようになっていました。そして6歳に選手育成コースに入って、毎日泳ぐようになっていました。はっきりとした時間は覚えていないのですが……小学校低学年の時には1日1時間半~2時間くらいは泳いでいたのではないかなと」
――まだ小学生低学年なのに、それだけ泳げるものなんですか?
「確かに自分でも早いなとは思いますね(笑)。ただ親から聞いた話だと、物心がついた時から本当に水泳が好きだったようで、『今日は水泳の日だ!』と言って楽しみにしていたそうです。何の競技もそうなのかと思いますが『好き』という感情があったからこそ、もっと泳げるようになりたい、上手くなりたいという気持ちが強くて一生懸命にやっていたのだと思います。そうやって最初は小さな目標をクリアしていった先に、どんどん大きな夢になってきて、最終的にオリンピックという目標に設定していったのかなと今になって感じます。
育成クラスに入った時点……5歳で、ジュニアオリンピックは意識していましたね。私自身はもちろん、コーチも含めて上へ上へと目指していこうと。実際、小学校3年生の時にジュニアオリンピックに初出場できました。その頃は目標を達成するため、練習のこと以外を一切考えず、“全集中”してやっていた記憶がありますね。自分の中では『誰よりも頑張っているんだぞ!』と思っていました(笑)。それが自信となったのは確かですね」
ヒザの症状は中学生の頃には酷くなっていた
――そんな寺村さんですが、現役時代はヒザの怪我に悩まされました。それもかなり早い段階だったとお聞きします。