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「ちがうぅぅ! もっと右ぃぃ!」サハラ砂漠で私が走った“世にも奇妙なマラソン大会”…絶望の30キロ付近「いつまで走っても次の給水所が見えない」
text by
高野秀行Hideyuki Takano
photograph bySaharaMarathon
posted2023/02/18 11:01
「サハラ・マラソン」の実際の様子
絶望の30キロ付近…唱えた“スローガン”
私も彼のように屈伸をしたら、バキバキバキとものすごい痛みに襲われた。慌てて立ち上がり、足を引きずりながらも歩く。無理をしても歩いたほうがマシらしい。しばらく歩くと、ふと竹村先輩と宮澤が小高い砂丘の上でカメラを構えているのが見えた。
「こんな姿を撮られてはかなわん。走らねば!」
おそるべきは見栄の力である。カメラに撮られている間だけでも走ろうとするが、なんといっても砂漠は見晴らしがよすぎる。カメラの前後三キロくらいは射程距離に入ってしまう。見栄を張るのも大変だ。気合を入れるしかない。
だが今度は足の痙攣だけでなく、呼吸も苦しくなってきた。それまで鼻で息をしていたが、今や大きく口を開けてハアハア、ハアハア喘ぐ。心なしかその音が「サハラ、サハラ……」と聞こえるので、自分で意識して「サハラ、サハラ……」と口にしてみる。発声が力みをとるらしく、少し楽になるしテンポも安定する。
ただずっと「サハラ、サハラ、サハラ……」では単調すぎて、そのうち熱にうなされたような気分になってきた。サハラ砂漠に追い詰められているという強迫観念にもかられる。
ふと思いついて「サハラ・リブレ、サハラ・リブレ……」に変更してみた。サハラ・リブレとは「自由のサハラ」の意味で、西サハラ解放運動の最もシンプルにして明瞭なスローガンである。これが実際にひじょうにテンポがよく、言霊じゃないが、自由な気分を与えてくれる。
砂にもがいてサハラ・リブレ、小石の上に足が乗って転びかけてサハラ・リブレ、足が動かずサハラ・リブレ、そしてしまいに歩いてしまってサハラ・リブレ……。何百回も念仏のように唱えつづける。
バスク地方のテレビ・クルーが撮影しているのに出くわしたので、アレンジを加えて、「バスク・リブレ!」とカメラに向かって叫んだら、あまりに唐突だったらしく、ディレクターの若者はポカンとしてこっちを眺めていた。
ようやく三十キロの給水地点までたどりついた。あと残り十二キロあまり。ふだん──といってもここ二週間だけだが──練習で走っている距離に近い。そう思うと気力がよみがえり、テレビカメラの前もあって「おっしゃー!」と雄叫びをあげて再度走り出すが、気力に体が全然ついてこない。
給水所の間隔が怪奇現象のように開いてきた。いつまで走っても次の給水所が見えないのだ。