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〈58歳で死去〉中田宏樹八段が37歳で挑んだ「羽生さんと竜王戦で戦う」夢、藤井聡太16歳との名局…「将棋の勝負はきついものです。でも」
posted2023/02/10 06:01

Number1060号の取材に応じてくれた際の中田宏樹八段
text by

北野新太Arata Kitano
photograph by
Ichisei Hiramatsu
「初めてイメージが浮かんだんです。ゴールドコーストで谷川先生と指せるんだよなって。無邪気で新鮮な喜びでした」
「茶髪の挑戦者」と話題を呼んだ25歳は豪州で七番勝負の開幕を迎えた。ビーチでサーフボードを抱え、動物園でカンガルーやコアラと戯れた。一緒に記念撮影に収まる竜王・名人の谷川浩司は小さい頃からの憧れだった。
「相手が竜王・名人だろうが、憧れの人であろうが」
初めての和服に袖を通した一局。後手の陽動振り飛車に対し、積極果敢に攻勢を取る。2日目午前、真田が指した決断の一手は後に語り草となる▲4一金だった。封じ手の夜に導き出したのは筋悪とされる一段金。谷川を長考に沈ませ、シリーズ決着後に「絶妙手」と回想させる一手だった。
「勇気は要らなかった。最大限に感性を研ぎ澄ましたら悪い手ではないと分かった」
かつては自分が眺める立場だったBS放送の視聴者を驚かせたが、谷川は強かった。懐の深い終盤力に屈して敗戦。第3局も一時は優勢に立ったが、白星は掴めず。終わってみれば、遠い1勝を挙げることができずに敗れ去った。
「自分には図太さがなかった。相手が竜王・名人だろうが、憧れの人であろうが、必ず俺は七番勝負で4勝するんだって本気で思い込んで戦わなくちゃいけなかったんです。技術に厳然たる差があって、差の距離感も僕には掴めなかったのに、谷川先生は強いなって素直に思いながら戦っていた」
自らが欠いていたものを真田が痛感したのは翌年の七番勝負だった。挑戦者に躍り出た藤井猛は一気の4連勝で谷川を圧倒して竜王になった。革新戦法「藤井システム」の破壊力だけではないと思った。勝負師としての視線が自分とは全く異なっていた。
「自分は負けるわけがないんだ、と思って藤井さんが勝負に臨んでいることを強く感じたんです。谷川さん相手なんだから負けてもしょうがないじゃないか、という思いが全くなかったように思えた。僕とは違った」
届かなかったものを手にするために苦悩し、苦闘を続けてきたが、駆け抜けた25歳の夏のような幸福な季節は訪れていない。
「竜王に挑戦したわけだから、もっと積み重ねれば今より将棋を理解できると思っていましたけど間違いだったんです。分かるはずなのに分からない、という苦しみにぶつかっていった。勝てるはずなんだという思いが柔軟さも発想力も奪って。負ける度に消耗していきました」
竜王挑戦の過去は大いなる誇りだが、呪縛にもなった。脱却するまで10年以上の歳月を要した。あの挑戦以来、真田は大舞台を踏んでいない。四半世紀前の記憶は今、どのように刻まれているのだろうか。
「瞬間の最強者を決める戦いの中で背伸びして、自分を奮い立たせて戦った。天才たちに囲まれて、自分はよくやったなと今は思います。夢のような得難い高揚感が全身を包んで離さなくて。あの竜王戦が僕なりの目一杯だったのかもしれない」
37歳の中田宏樹に訪れた「羽生さんと戦う夢」
中田宏樹は夢を取り戻そうとしていた。
もう37歳になっていた。