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「羽生(善治)さんの威光に怯んだのかも」「序盤から悶え苦しんでいるんです」行方尚史と真田圭一が味わった“ドリーム直前の敗北”とは

posted2023/02/10 06:00

 
「羽生(善治)さんの威光に怯んだのかも」「序盤から悶え苦しんでいるんです」行方尚史と真田圭一が味わった“ドリーム直前の敗北”とは<Number Web> photograph by Eihan Nakano

1994年9月16日、挑戦者決定三番勝負第2局。敗着を指した5九の地点を示す20歳の行方尚史

text by

北野新太

北野新太Arata Kitano

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Eihan Nakano

一夜にして誰もが棋士人生を変えうる最高棋戦。頂に近づきながらも届かなかった若者たちは今も盤上で戦い続けている。眩しかった夏は、勝負師たちに何を残したのか。3人の棋士の夢の跡を追った。行方尚史九段と真田圭一八段、そして2月7日に58歳で死去した中田宏樹八段の記憶をたどった記事『[竜王戦ドリームの深層]男が夢に触れる時 行方尚史/真田圭一/中田宏樹』(Number1060号、2022年10月6日発売)を全文公開します。(全2回)

 行方尚史は夢を描いていた。

 まだ19歳だった。

 1993年9月29日、小田急線柿生駅のプラットホームに佇み、明後日から始まる日々のことを考えていた。

 10月1日付で四段になる。昇段当日からデビュー戦に臨む。本当の勝負の世界を棋士として走り始めるのだ。

 手にしていたのは、当日リリースされた小沢健二のファーストアルバムだった。封を開け、歌詞カードに記されたセルフライナーノーツを読む。

「フリッパーズ・ギター」を解散して独りで歩き始めた25歳の音楽家は、芸術と表現に対する決意を表明していた。戦いを始める青年の心に迫り来る何かがあった。

「ああ、すごいなって、胸を打たれたんです。あの頃の僕にとってのスーパースターは羽生さんと小沢健二でした。今までとは違う彼の世界を知ることは僕の原動力になった。あれから1年、あのアルバムを聴きながら挑決まで駆け上がることができたんだから」

「竜王戦ドリーム」にある3つの正体とは

 青春を盤上に賭ける若者が棋界最高位へと疾走することが時々ある。

 季節は決まって夏である。竜王戦決勝トーナメントは熱帯夜の時期を通り過ぎる連戦で争われる。

 '87年、飛車が成った盤上最強の駒の名を冠する最高棋戦として創設されて以来、語られ続けてきた「竜王戦ドリーム」には、3つの正体がある。

 ひとつは、誰でも叶える可能性のある夢であること。積み上げたものなど関係ない。新四段どころか棋士でなくてもいい。女流棋士やアマチュアも参加する。制度上の極論を言えば、世界中の誰でも竜王になることはできる。

 もうひとつは、一気に頂点まで昇り詰めて世界を変えてしまえる夢であること。名人挑戦まで最短5期を要する順位戦とは異なり、一歩ずつ刻むべきステップなど存在しない。最下級の6組ランキング戦でも優勝すれば、11人が参戦する決勝トーナメントを戦える。勝ち続ければ挑戦者という黄金の切符を得る。時の竜王に挑む七番勝負で番狂わせを演じれば棋界最高位に就くことになる。

 そして巨額報酬の夢である。現在の優勝賞金は棋界最高の4400万円。七番勝負敗退者でも1650万円。決勝トーナメントでも一戦ごとに対局料は飛躍的に増えていく。極めてプロフェッショナルな設定は若者の野心を駆り立て続けている。

谷川-羽生の記録係を務めていた「行方三段」

 過去、時代の要請に応じるようにして夢を手にした男たちがいる。25歳の島朗、19歳の羽生善治、28歳の藤井猛、20歳の渡辺明、26歳の糸谷哲郎。それぞれ竜王戦でタイトル初戴冠を果たしている。

 行方が初めて竜王戦を目撃したのは'92年のクリスマスイヴだった。

【次ページ】 深浦、森内、南、米長でも止めることはできなかった

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