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「羽生(善治)さんの威光に怯んだのかも」「序盤から悶え苦しんでいるんです」行方尚史と真田圭一が味わった“ドリーム直前の敗北”とは
text by
北野新太Arata Kitano
photograph byEihan Nakano
posted2023/02/10 06:00
1994年9月16日、挑戦者決定三番勝負第2局。敗着を指した5九の地点を示す20歳の行方尚史
「やれるんじゃないか、という思いがなぜか竜王戦では最初からあったんです。若いから注目は嫌じゃなくて望むところで」
棋士4年目の'95年、北京での第8期竜王戦七番勝負の開幕局で記録係を務めた。
「日程が奨励会と重なったりして、なぜか自分に回ってきたんです。完全なラッキーでしたけど、あの経験がなかったら絶対に2年後はなかった」
偶然の幸運は若者を動かす。盤側から羽生善治と佐藤康光の戦いを2日間見守った。心を揺さぶられたのは羽生の唸り声だった。
「何の変哲もない序盤から羽生さんは悶え苦しんでいるんです。将棋のことなんて何も分かってない、だから必死に良い手を探さなくちゃいけないんだって語るように」
強い人に勝つために納得いくまでやろうって
全冠制覇に迫る竜王の真実を見て、自分は棋士になってからどこか充足し、弛緩していたのだと知った。最初の2年は勝ちまくった。3年目、急に勝てなくなると逃避した。週の半分は夕方5時から早朝5時まで同じ'72年生まれの屋敷伸之と一緒に酒を呑み、夢を語り合った。
「徹底して逃避して酒を呑んで好き勝手に過ごすのは楽しいということが十分に分かってから、針は逆に振れたんです。強い人に勝つために納得いくまでやろうって」
研究室を借りて毎日通った。朝9時から夕方5時まで研究を重ねた。他にやるべきこと、やりたいことなど何もなかった。
「煩わされることが何もない奇跡的な期間でした。人生って雑事が降りかかったり波風が立つことが起きるものだけど、あの時だけは何にも邪魔されずに自分と向き合うことができたんです」
'97年、第10期竜王戦4組優勝。勝敗を超越した感覚の中で決勝トーナメントを戦えた。指し手の技巧は冴え渡り、勝ち続けた。
「勝つとか、勝たなきゃいけないとか、意識が揺らぐことが一切なかったんです。ただただ将棋って奥が深いな、楽しいなって」
酒を酌み交わす仲の屋敷との対局では…
挑決三番勝負の相手は、朝まで酒を酌み交わす日々を過ごした屋敷だった。当時棋聖だった俊英の竜王初挑戦を予想する声が多数だった。決戦は敗北から始まった。
「でも、負けても次が指せることが嬉しかったんです。負けることが許されるなんて、番勝負じゃないと経験できないから」
あの時だけは目の前で起きる全てを肯定して戦えた。2局目に勝ってタイに。運命の最終局を迎えたが、心は乱れなかった。日付を跨いで209手に至る激闘になったが、一分将棋の渦中でも思いは透明だった。
「勝った先にあるものが何かということは全く考えなかった。考える余裕もなかったということもありますけど」
挑戦切符を手にして真夜中の打ち上げに臨むと、初めて喜びが込み上げてきた。
<#2につづく>