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格闘技PRESSBACK NUMBER
54歳の現役格闘家・大石真丈はなぜ戦い続けるのか? “格闘技界の仙人”に聞く波乱万丈の30年「途中でやめたら、ただのアホなんで…」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2023/02/04 17:01
2022年11月の試合前、合掌して集中力を高める大石真丈。54歳の元修斗王者は、なぜ今も現役選手として格闘技を続けているのだろうか
「平良選手より強いかも」UFCファイターの師匠とも対戦
2002年9月には横浜文化体育館でメインイベントに登場し、引き分けでタイトルを防衛。王者・大石の次戦は2003年8月、同じく横浜で松根良太を迎えての防衛戦だった。
松根は現在、沖縄で自身のジムを開設している。日本人最年少でUFCと契約した無敗の俊英・平良達郎の師匠としてご存知の読者も多いだろう。試合は松根がグラウンドでトップポジションをキープし、大石が下から関節を仕掛けるという展開が続いた。
「15分(5分3ラウンド制)のうち、13分くらい寝技で漬けられちゃいましたね。自分は減量に失敗して体が動かなかった。これ言ってもいいのかな、実は試合の途中で戦うのがイヤになっちゃって……。それくらい松根君が強かったです。あのずんぐりした体型で抑え込まれたら、まったく動けなかった。たぶん彼は今でも強いと思いますよ。もしかしたら平良選手よりも師匠の松根君の方が強いかもしれない(笑)」
ベルトを失った大石には、ふたつの選択肢があった。それでも格闘技を続けるのか。あるいは、「最後までやり切った」ことにするのか。
「松根君に負けて、やっぱり引退を考えましたよ。これで最後だなと。30歳を過ぎていたし、ここからもう一度ベルトを目指すのは大変なので、今度こそ一般人に戻ろう、と。なによりもあの頃、軽量級の試合は修斗しかなかったですから」
当時の日本ではPRIDEやパンクラスなども格闘技イベントを行っていたが、70キロ以下の選手にスポットライトが当たることはほとんどなかった。“軽量級不遇の時代”にあって意欲を失いかけていた大石に、新たな活躍の場が見つかった。
ZSTのトーナメント出場で「600万はもらった!」
タイトルマッチでの敗戦から3カ月後の2003年11月、大石は復帰の場として老舗の修斗ではなく、ZSTを選んだ。ZSTはリングスの元スタッフが中心となり、前年に旗揚げしたばかりの新団体だった。
倒れた相手の顔面への攻撃の禁止、膠着を誘発するクローズドガード(相手の胴体を脚で挟むこと)の禁止、タッグマッチでの試合形式など、従来のMMAとは一線を画すルールを採用した。なによりも、軽量級に特化していた。
「横浜の試合で負けたとき、会場にZSTの関係者がいて、軽い冗談のつもりで『よろしくお願いします』と言ったんですよ。そしたらすぐに試合のオファーが届いたんです。70キロのトーナメントで、優勝賞金とファイトマネーを合わせると600万円。少し重い階級ですけど減量の心配はないし、出場メンバーはジムでスパーリングしたことのある選手も多かった。パウンドがないので、怪我をするリスクも低い。『余裕で自分が優勝する。600万はもらった!』と皮算用しましたね(笑)」