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「ビリなのになんで笑顔なの?」箱根駅伝の常勝軍団・青学大を作った、『気分は優勝』の最下位ゴール…2009年の当事者が語る「称賛と批判」 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph bySatoshi Wada

posted2023/01/03 17:00

「ビリなのになんで笑顔なの?」箱根駅伝の常勝軍団・青学大を作った、『気分は優勝』の最下位ゴール…2009年の当事者が語る「称賛と批判」<Number Web> photograph by Satoshi Wada

2009年の箱根駅伝に33年ぶりに出場した青山学院大学の(左から)荒井輔、先崎祐也、宇野純也

ギリギリの敗退は「悪夢」であり、「自信になった」

 どん底の状況を脱するべく、翌年には主将になった檜山雄一郎が中心となって朝練習の時間を早めたり、寮で2人2部屋制を導入したりと改革を敢行した。

「僕らが1年生の時はルールが緩かったんですけど、2年になって厳しくなり、3年時でさらに厳格になった。なかなかスポットライトを浴びませんが、ずっと我慢しながら改革をしたのは1個上の檜山さんたちの代。あの代がいなかったら、僕らが箱根に出ることもなかったと思います」(宇野)

 競技面でも好成績が相次いだ。関東インカレ・2部では、1500mで荒井輔(たすく)が、800mで岡崎隼也が優勝を果たし、3000m障害では3人が入賞。本戦に出られるという手応えをもって予選会に臨んだ。

 ところが、その予選会では主将・檜山の欠場も響き、次点の10位。レース順位では通過圏内の9位だったが、関東インカレポイント制度(関東インカレの成績によってタイムを減算)によって、法政大学に逆転されての敗退だった。先崎が振り返る。

「悪夢のようでした。4年生と一緒に箱根に出たかったということもあるし、チームは良い感じでまとまっていたので……ショックが大きかったです」

 一方、宇野は違う受け止め方をしていた。

「かなり悔しかったんですけど、前年度がひどすぎたのもあって自信になった。箱根出場への現実味も湧いてきました」

原監督指揮の関東学連選抜は好成績に

 この年、先崎は予選会でチームトップでフィニッシュ、関東学連選抜の一員に選出された。膝のケガがあって本戦は走ることができなかったが、その経験が翌年に生きたという。

「学連選抜はすごく仲が良くて、苦しさよりも楽しさのほうが多かった。各チームの主力が集まっていたし、このチームで結果を出そうという意識も強くて、僕自身も吸収するものが多かった」

 原監督の指揮のもとで関東学連選抜は大健闘し、過去最高の4位。チームも雰囲気は最高だった。アンカーを務めた青学大の横田竜一が大手町に帰ってきたときの表情は、もちろん笑顔だった。

 先崎や宇野にとっての最後の1年のチーム状況は、決して良いとは言えないものだった。膝の手術を受けた先崎は春先ほとんど練習ができず、その他の主力も故障での離脱やケガで本来の力を発揮できずにいた。3年になった荒井が長い距離に適性を見せるなど好材料もあったが、不安を抱えたまま、10月の予選会を迎えた。

【次ページ】 練習日誌に原監督が赤字で残した“選手へのメッセージ”

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