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「門限を破った加藤哲郎が2階から入って…」元近鉄ドラ1選手が明かす“自由すぎた選手寮” 加入直後のブライアントにスパイクを貸すも…

posted2022/12/27 11:01

 
「門限を破った加藤哲郎が2階から入って…」元近鉄ドラ1選手が明かす“自由すぎた選手寮” 加入直後のブライアントにスパイクを貸すも…<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1989年日本シリーズ、近鉄vs巨人。第3戦で勝利した近鉄のヒーロー、加藤哲郎と光山英和(左)

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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JIJI PRESS

戦力外通告――。プロの世界は弱肉強食である。勝てば持て囃され、負ければ容赦なく切り捨てられる。どんな名選手でも肉体は衰え、いずれ球界を去っていく。だが、夢を終えても人は生き続けなければならない。今も語り継がれる伝説の1988年の『10.19』、1989年の『10.12』で先発を任された元近鉄バファローズの高柳出己が自らのプロ野球人生、引退後の生活を余すことなく語り尽くす(全3回の1回目/#2#3へ)。※敬称略、名前や名称は当時

◆◆◆

「すみませんが、お断りします」

 長嶋一茂や立浪和義が目玉候補だった1987年のドラフト会議前日。社会人野球・日本通運で5年目を迎えていた高柳は、ロッテの金田留広投手コーチから「1位で行く」と電話で告げられると、拒否の姿勢を示した。

「日本通運の先輩で交流があったんですよ。でも、ロッテは絶対に行きたくなかった。広島も練習がキツくて嫌だなと。近鉄や南海も入団する気はありませんでした」

閑古鳥が泣く「あの頃のパ・リーグ」

 当時、パ・リーグは人気面でセ・リーグに大きく差を広げられていた。同年の観客動員数はセの1206万人に対し、パは695万人(いずれも公称、延べ人数)。ロッテの本拠地である川崎球場では試合中にファンが流しソーメンをはじめたかと思えば、カップルが体を寄せ合って濃厚なキスをする。南海の本拠地である大阪球場では、阪急の応援団が「おーい、門田。豚まんやるぞ~。一緒に食べよう」と野次を飛ばしていた。そのようなシーンが『珍プレー好プレー』などで流れ、閑古鳥の鳴く印象が強かった。

「ヤクルトのスカウトから『一茂を外したら1位で行く』と伝えられていたんですよ。でも、大洋との抽選に勝ったから、指名はなかった。ただ、4年後に法政大学から近鉄に入ってきた高村(祐)が『高校の時、僕もヤクルトにそう言われました』って。その年、大洋の外れ1位になった盛田幸妃からも同じ話を聞いたんですよ。だから、何人にも声かけていたんでしょうね(笑)」

「嫌な球団だったら泣いたフリしろ」

 1983年に春日部工業高校から日本通運に入社したものの鳴かず飛ばずで、野球部からクビを言い渡されてもおかしくない状況だった高柳は、5年目に突如として開花する。

【次ページ】 近鉄入団の裏に“仰木彬の存在”

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